ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

書評:エリザベス・ブレイク(2019)[久保田裕之監訳]『最小の結婚』白澤社

本記事はエリザベス・ブレイク(2019、原著2012)[久保田裕之監訳]『最小の結婚』白澤社についてのコメント的なものである。以下、断りがなければページ数は翻訳された本書のページ数を表している。

 

 

本書は結婚について倫理学的・政治哲学的に詳細な議論を行なっている本である。訳者解説の通り、本書の中心的な問いは「結婚制度はリベラリズムと両立するのか」「両立するならば、いかなる条件においてか」(p.350f)というものである。

本記事ではまず、本書の内容を、本書の主眼である「最小結婚(minimal marriage)」を中心にして説明する。次に、この最小結婚の妥当性について簡単に議論する。なお、評者はリベラリズムに明るくないため、リベラリズムにおける最小結婚の位置付けが成功しているかどうかについてはあまり議論しない。また、本記事では以下のnoteの記事に賛同し、本書の重要な概念である「amatonormativity」の訳語として、本訳書で採用されている「性愛規範性」ではなく「恋愛伴侶規範性」を用いる。(一応、訳者らからこの訳語の採用の理由も明かされているのでそのURLを併記しておく)*1

note.com

hakutakusha.hatenablog.com

 

本書の内容

本書の構成は以下の通りである。

[目 次]
序──結婚と哲学
第Ⅰ部 結婚の脱道徳化
 第1章 結婚の約束──離婚は約束破棄なのか
 第2章 結婚にいかに献身するか──概念の手引き
 第3章 結婚、性行為、道徳
 第4章 愛する者への特別扱い──結婚・ケア・性愛規範性
第Ⅱ部 結婚の民主化
 第5章 結婚への批判──本質的に不正義な制度か
 第6章 結婚を定義する──政治的リベラリズム同性婚論争
 第7章 最小結婚──政治的リベラリズムは婚姻法にいかなる影響を及ぼすのか
 第8章 最小結婚実現に向けた課題──貧困・財産・一夫多妻

新刊『最小の結婚――結婚をめぐる法と道徳』出来! - 白澤社ブログ

第一部では、道徳哲学において特別扱いされた「結婚」を脱道徳化、より具体的には、「結婚」から余計な概念を取り除く作業行われる。道徳哲学において結婚は「関係を道徳的に変容させる」(p.13)と一般に考えられてきた。例えば結婚は、配偶者に対する特別な義務を生じさせ、その人の善き生を構成すると論じられることがある*2。ブレイクは第一部を通してこれらを取り除き、最終的に「ケア関係」という特徴のみを結婚に残す。

第二部では、ブレイクが提案する最小結婚の擁護が行われる(「最小結婚」は、ノージックの「最小国家」に由来する(p.267下))。まず婚姻制度自体への既存の批判(例えば、結婚は本質的に所有関係であるというようなラディカル・フェミニズムからの批判など)を整理し、これらに対して最小結婚が対処できることが論じられる。以下では最小結婚の主要な擁護について説明する。

第一部の議論で、ブレイクは結婚から約束やコミットメント、善き生の構成要素といった特徴を取り除き、結婚の特徴にケア関係のみを残した。では、こうした結婚ないし婚姻制度が担う役割とは何か。評者のみるところ二つある。第一の役割は、国家による関係の承認、つまり特定の人々の関係を「結婚」という関係として承認することである。第二の役割は、「ケア関係の社会的基盤」という基本財の分配である。

第一の役割は、これまでの婚姻制度が認めている一夫一妻以外の関係をも包摂することで果たされる。これまでの婚姻制度は、同性愛関係はもちろん、その他のポリアモリーや友情に類比されるケア関係を不当に排除してきた。近年では同性婚を擁護する議論が数多く存在するが、ブレイクはそれらの同性婚擁護の議論を批判的に検討し、同性婚を認めるだけでは不十分であると論じる。ブレイクによれば、同性愛関係を婚姻制度に組み入れたとしても、結局一対一の関係しか承認しないのであれば、婚姻制度は不当に恋愛伴侶規範を強化し続けることになるからである。恋愛伴侶規範性についてブレイクは、「結婚およびそれに関連するロマンティックな一対一の関係という理想」を恋愛伴侶規範的であるとし、これを強化することはその他の様々なケア関係を抑圧、排除することになると主張する。そして「リベラルな社会は、道理にかなった包括的な宗教的・哲学的・道徳的な教説の多元主義によって特徴づけられる」ので、リベラリズムとの両立を図るのであれば、恋愛伴侶規範を強化するという排他的な法律や政策の施行は慎まれるべきである(p.283上)。したがって、リベラルな国家は婚姻制度に関して「その関係がケア関係であること以外には、性別又は配偶者の数や、関係性の性質や目的にいかなる原則的な制約を設けることはできない」(p.269下)。そうしてブレイクは、多対多を含むすべてのケア関係を包摂し、同性愛関係のみならず、ポリアモリーの人々や友情関係などをも承認する婚姻制度として最小結婚を位置づける。

ここで問題となるのは、なぜケア関係は制約の一つとして認められうるのかということである。第7章においてブレイクは、ケア関係(の社会的基盤)がロールズ的な意味で基本財であることを論じる。そして、最小結婚の第二の役割として、ケア関係の社会的基盤の促進・配分を位置づける。ブレイクによれば、基本財とは「道徳的能力の発達と鍛練にとって重要となる財であり、多様な善の概念の追求にとって重要なものである」(p.292上)。ブレイクは、心理学等を参照しつつ、ケア関係ないし「物質的なケア提供は、道徳的能力の発達やその行使にとって、そして、さまざまな善の構想の追求にとって不可欠なものであるがゆえ、明らかに基本財の定義に収まるものだ」(p.294上)と論じる。国家は基本財を正義にかなった形で分配しなければならないので、ケア関係の社会的基盤を正義にかなった形で分配しなければならない。その役割を担うのが最小結婚という婚姻制度である。

以上がブレイクによる最小結婚の擁護の大筋である。ブレイクの最小結婚に対して様々な疑問が思い浮かぶかもしれない。例えば子どもおよび養育はどうなるのか、現実社会においてこの理論をどのように適用していけばいいのかなどの疑問があるだろう。このような疑問は本書である程度回答されているため、気になる方は本書を読むといいだろう。

本書はリベラリズムにおける婚姻制度について体系的に論じている貴重な文献であり、今後婚姻制度について規範的に論じるなら一度は読むべき本だろう。とはいえ、ブレイクの議論にはいくつか疑問が残る。その中でも以下では、最小結婚の内在的な問題ついて批判的に検討する。

 

ブレイクの最小結婚は「最小」なのか?

評者が考えるに、ブレイクの最小結婚は二つの意味で最小ではない。第一に、ブレイクの想定するケア関係は狭すぎる。そして第二に、結婚制度の制約からケア関係をも外さなければ最小とは言えないと考える。まず第一の批判から論じる。

上述したように、ブレイクは最小結婚をケア関係の社会的基盤を促進するものとして位置付けている。ではこの最小結婚において誰が承認されうるのか。ブレイクは「いかなる個人も複数の相手と法的な婚姻関係を持つことができる」(p.267下)と言いつつ、一部の存在を排除している。具体的に明示されてるのは子どもと非ヒト動物である(すぐ後で議論するように、実際はさらに多く排除されている)。

ブレイクは、最小結婚には「了解」が必要であるとし、子どもと非ヒト動物が最小結婚において結婚できない理由を次のように述べている。

子どもや、人間以外の動物も、いかなる契約を交わすこともできないがゆえ、結婚の契約を交わすことはできない。誰もが一方的に結婚することなどできないのであり、最小結婚が付与する配偶者の地位は、当事者双方の合意を必要とするのであるから、十八歳未満(未成年)は法律上その合意にふさわしいとみなされないのである。さらに、親や保護者は未成年者のケアに関する権利を有しているが、これは〔親や保護者の〕最小結婚の契約と衝突しうる。動物が結婚における権利や責任を取り交わすこともなど*3できない。

(中略)

誰であれ、一方的に結婚することはできない。最小結婚は「了解」を必要条件としているからだ(すなわち、そのような権利は一方的にもたらされるものではないのだ)。同意に不適格な人々だけではなく、「ストーカー」結婚(ある人が合意のない相手に最小結婚上の権利を移譲しようとするもの)も除外される。というのも、ケア関係とは互恵的なものだからである。(中略)「了解」は、ある関係がこの互恵性の条件を満たすことを保証する基準なのである。(p.277)

さらにブレイクは、最小結婚は互恵的なケア関係を必要とすると述べている。

馬鹿げたほど多くの相手との大規模結婚といった場面が、[最小結婚という提案への]もう一つの反証として指摘されるかもしれない。(中略)答えはノーだ。ケア関係の制約が、現実的な上限を課すことになる。(中略)ケア関係は、当事者どうしが互いのことをよく分かっており、歴史を共有しており、定期的に交流しており、互いについての詳しい知識を持っていることを必要条件としているからである。(p.278)

さらに、この「互いのことをよく分かっており」等のことを国家が確認することを、ブレイクは部分的に容認する。

本当に現実のケア関係があるか否かという定義によって最小結婚を取り締まるというのはあまりに難しく、その結果、偽装結婚を助長するのではないかと思われるかもしれない。(中略)国家にほとんど負担をかけず主要な機能が関係を支援するような権利(中略)以外の在留資格のような権利については偽装の恰好の対象となるので、より詳細な調査を必要とするだろう。こちらのようなケースでは、本当に当事者が互いをよく知っているか、そして(判断できる限りにおいては!)実際に互いをケアしているのかを確かめるための聞き取り調査のような、より大掛かりな官僚的監視が適しているだろう。(p.279)

以上の議論から、ブレイクの主張を二つにまとめることができるだろう。最小結婚から排除されるケースは、以下の二つのどちらかの場合である。

  1. 同意に不適格な人々(および非ヒト動物)
  2. ケア関係には実際にはない人々(および非ヒト動物)

これらの条件には二つの問題がある。第一の問題は、同意の適格さの基準、およびケア関係であると判断される基準は(実践上)誰が決めるのかという問題である。哲学的に適切な基準を見つけることができるかもしれないが、婚姻制度が法制度である以上、この基準は国家レベルで決定されるだろう。しかしそうすると、国家がケア関係を恣意的に、そして狭く規定してしまうと、最小結婚で包摂したいはずの人々を包摂できなくなる可能性がある。これは最小結婚の目的とそぐわないだろう。

第二の問題は、国家がどう決めるのであれ、ブレイクが想定している基準はどちらについても高く、健常者中心的になっていることである。ブレイクは、「自分自身のケアを引き受けることができないがゆえに依存せざるをえない人たち(子どもや障がい・病気を抱えている人たち)」(p.294上)というような表現をしており、ケア関係と一方的なケア提供を区別している。同意に不適格な人々、「実際にケア」できる人といわれているとき、そこからは、同意に不適格だとみなされている人(社会的条件によっては子ども以外も不適格だとみなされる)、一方的にケアされる人が排除されている。これは、いかなる個人も結婚できるという最小結婚の長所を弱めてしまっている。

最小結婚としての婚姻制度をより広く包摂できる制度にするには少なくとも二つの方法があるだろう。第一の方法は、最小結婚に必要とされるケア関係を、互恵的なそれではなく、「一方的な」ケア提供を含む広義のケア関係にすること、および同意条件を少なくとも弱めることである。J・C・トロントが論じているように、「一方的」とはいえ、ケアの局面にはケア提供に対する応答が含まれる(トロント 2020*4)。そうであれば、「ケア関係」を狭い意味で互恵的であると考える必要はないのではないか。第二の方法は、最小結婚の条件からケア関係を外すことである。これは次の論点で議論する。

本節冒頭の第二の批判、つまり、結婚制度の制約からケア関係をも外さなければ最小とは言えないということについて以下で論じる。上で引用した部分を再度引用する。

本当に現実のケア関係があるか否かという定義によって最小結婚を取り締まるというのはあまりに難しく、その結果、偽装結婚を助長するのではないかと思われるかもしれない。(中略)国家にほとんど負担をかけず主要な機能が関係を支援するような権利(中略)以外の在留資格のような権利については偽装の恰好の対象となるので、より詳細な調査を必要とするだろう。こちらのようなケースでは、本当に当事者が互いをよく知っているか、そして(判断できる限りにおいては!)実際に互いをケアしているのかを確かめるための聞き取り調査のような、より大掛かりな官僚的監視が適しているだろう。(p.279)

ここには、結婚によって様々な権利が与えられているのがみてとれる。ブレイクにとってこれらは、ケア関係の社会的基盤を促進するためのものかもしれない。少し長いが、ブレイクが最小結婚が実現された社会での一例を想像している部分も引用する。

ローズという女性のケースを考えてみよう。ローズはオクタヴィアンと同居し、家計をシェアしている。家計管理を容易にするために、ローズとオクタヴィアンは法人を作る。(中略)オクタヴィアンの会社は五年後に彼を転勤させる予定だが、ローズは一緒に引っ越すつもりはない。しかし、二人はそのときまで同居することに合意している。二人は、同居を解消する際にどのように財産を分割するかまで話し合っており、もし二人のうちどちらかが予定より早く出て行った場合には、契約違反として相手に補償や経費を支払うことも決めている(この取り決めは懲罰というのではなく、単に相手を保護するためのものである)。

ローズの親戚のうち唯一健在なのは祖母のアリスで[ある](中略)。ローズは彼女に親子同然の責任を感じている。ローズの雇い主は十分な医療保険を提供しており、ローズに配偶者がいればわずかな追加の費用でその利益に預かることができる。(中略)アリスは十分な医療保険へのアクセスを必要としており、万一ローズがなくなった場合、もしローズに生存配偶者がいたならば受け取れたであろう連邦遺族年金を受け取りたいとしよう。このような正義に適った権限を仮定するならば、最小結婚は、ローズがアリスにこれらの権限の資格を移譲することを認めることになるだろう。

(中略)一方で、本当にローズのことを理解しているのはマルセルという男性だけである。(中略)ローズは遺言執行権と緊急時の意思決定権を、マルセルに託したいと考えている。加えて、マルセルとローズは長い時間を共に過ごしており、(中略)観光アトラクションやフィットネス・ジム、リゾートのための「家族割引」の資格を得たいと思っている。例えば、二人が住む地方都市のジムは、結婚している夫婦には割引をおこなっているものの、彼女らには資格が与えられない。(p.280f)

私的機関のサービスと公的機関のサービスが混在していることに注意が必要だが、ブレイクが、最小結婚においてでさえ、結婚に付随する様々な権限・サービスを想定していることがわかる。私的機関のサービスはともかく、公的機関の権限・サービスがなぜこれほどまで付随しているのか。ブレイクはこうした権限・サービスが付随する理由を明示的には述べないが、

最小結婚は、「伝統的」結婚をも含む、成人間のケア・ネットワークのための法律なのである。(p.282下)

と述べており、ブレイクが、最小結婚であってもこうした権限・サービスが残ると想定しているのは明白である。しかし、「最小結婚」がノージックの「最小国家」から類推されているのであれば、こうした権限・サービスは、少なくとも婚姻制度外に追いやられるべきではないだろうか。

ブレイクが最小結婚にこのような権限を含めている一つの理由は、最小結婚をケア関係の社会的基盤の促進として位置付けていることにあるだろう。評者は、最小結婚からこの役割を除外してもいいと考えている。前節でまとめたように、最小結婚には、特定の人々の関係を「結婚」という関係として承認する役割と、ケア関係の社会的基盤という基本財の分配という役割の二つがあると思われる。だが、第二の役割は最小結婚には余計ではないだろうか。ケア関係という基本財の分配は他の制度によって実現すればいいのではないだろうか*5

 

以上のような問題が考えうるが、本書が規範的な結婚論として重要な位置を占めていることはたしかだろう。今後、この最小結婚の具体的な制度設計や、米国以外への適用可能性、あるいは代替的な制度案の検討がなされることを望む。

*1:訳語の選択には他にも違和感が多々あった。例えば"dispositionality"の定訳は「傾向性」だが、「気質」と訳されている(これは些細な問題である)。また"commitment"を「献身」と訳しているが、これは誤訳だろうと思う。訳注で、結婚という文脈を考慮して「献身」を選択したとあるが、それでも違和感がある。特に、日本語の「献身」には身を捧げるという強いニュアンスがあるが、本書の「コミットメント」にはそういうニュアンスはないと思われるため、結婚の文脈だからこそ「献身」という訳語を避けたほうがよかったと考える。

*2:例えば、福利の客観的リスト説のリストの項目に結婚が入っていることがある。これは第3章で批判的に検討されている。

*3:原文ママ

*4:
ジョアン・C・トロント(2020)[岡野八代訳・著]『ケアするのは誰か?:新しい民主主義のかたちへ』白澤社

 

*5:もし承認という役割だけを婚姻制度に残せば、同意条件を少なくとも弱めることができるかもしれない。そうであれば、非ヒト動物との結婚だけでなく、人形などの非生物との結婚を文字通り認める余地が出てくる。ブレイクはこうした結婚のあり方を全く認めないかもしれないが、婚姻制度から様々な権限・サービスが取り除かれるのであれば、こうした結婚の形を婚姻制度に含めることが真剣に議論されてもいいのではないだろうか。