ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

変容的経験を選択する権利(Akhlaghi, 2022)

書誌情報
Akhlaghi, F. (2022). Transformative experience and the right to revelatory autonomy. Analysis.
academic.oup.com
CC-BY 4.0でオープンアクセス

1. Introduction

  • 他者が変容的経験*1を受けることを選択するのを妨げようと干渉することは許容可能か、という倫理的問題。
    • 干渉することは、啓示的自律性(revelatory autonomy)と呼ぶべき道徳的権利を人間が有しているので、条件つきでダメだと主張する

2. The Question

  • 変容的経験の選択は、一人称的な合理的選択と行為者性について難しい問題になる
  • では、変容的選択に直面してるのが友人や兄弟、恋愛のパートナーだとしたらどうか。
    • Love:ジャックとジルは幼馴染[恋人?](childhood sweethearts)。ジャックは自分の村で、ジルは他の場所で大学教育を受けることを希望してる。ジルは全額奨学金で大学に行く。ジャックはそれを止めるようと考えてる。
    • Friendship:シャイリーンとシアーヴァッシュは親友である。シアーシュは都会で高給取りの仕事をしている。最近、シアーヴァシュはこの仕事をやめて学校の教師になろうと考えている。シャイリーンは止めようと考えてる。
    • Family:アダムはチャーリーの兄である。アダムは親になるかどうか考えている。チャーリーは止めようと考えてる。
    • これらが許容可能かどうか不明確
  • 本稿で取り組む問題は

(The Question) Under what conditions, if any, is it morally permissible to interfere to try to prevent another from making a transformative choice?
他者が変容的選択をするのを妨げようとする干渉は、あるとすれば、どのような条件下で道徳的に許容可能か?

  • 3つの応答を検討し、どれも失敗すると主張する。
    • そして筆者の、変容的選択に対する独特な権利があるというのを主張する
  • 本稿で「干渉」は、coerce, manipulate, rationally persuade or forceを全部含む。

3. The right to revelatory autonomy

  • 変容的経験には肯定的変容と否定的変容がある。
    • 肯定的認識的変容は知識や理解を増大させ、否定的認識的変容は減少させる
    • 肯定的個人的変容は道徳的または賢慮的により善い人になるよう変える。否定的個人的変容は逆。
  • [最初の見解]認識的または個人的に否定的変容をもたらす場合に干渉は許容可能
    • だがこれは、パラダイムケースの変容的経験は起こった後でないと肯定的か否定的かわからないという問題を見逃してる
    • 三者は変容的選択をする人と少し違う認識的立場に立ちうる
      • [Familyケースで]もしチャーリーが赤ん坊を抱いた経験があるなら、アダムよりも赤ん坊を抱くことが一般にどのようなものかを知ることができる立場にあるかもしれない。
        • しかし、チャーリーが自分の子どもを抱くことがどのようなことなのかということと、アダムがそうすることがどのようなことなのかということが同じだと考える理由はない。同じように変容するわけではない。その理由は、その経験にいたるまでに様々な違いがあるから
        • だからといって、無条件に干渉は許容不可能だということにはならない。連続殺人みたいな変容的経験を望んでる人に対してその選択を妨害するのは明らかに許容可能。
  • 第二の見解:その人の最善の利益になる場合にのみ、変容的選択に干渉するのは許容可能
  • 第三の見解:変容的選択への干渉の許容可能性は、標準的意思決定手続きによって、つまり、不確実な条件下で何をすべきかを期待効用を計算することによって決まる
  • 両者の問題点
    1. 未来の自分の利益がなんであるか、自分の現在の利益が満たされるかは、変容的選択の後でしかわからない
    2. たとえわかっているとしても、干渉の許容可能性にとって、誰の利益が道徳的に問題だろうか。現在なのか未来なのか。一方を特権化するのは恣意的だろう。
  • 以上の問題は深刻。
    1. 干渉の許容性を、選択時点では持ち得ない、知識または信念の理由に依存させることで、[まさに選択時点では持ち得ないために]干渉が許容されると知ることも信じる良い理由を持つこともできないことを含意してる。だがそれはありえない[上の殺人ケースを参照]
    2. 許容可能な行為の最小条件を、許容可能にする条件が満たされてると信じる良い理由があることにしてるために、許容可能な介入がありえないことになってるが、これもありえない
  • これらは、変容的経験に関する、選択前後での認識的障害のために問題がある
  • そこでThe Questionに答える妥当性の条件
    1. 干渉の許容可能性は、レレヴァントな経験の価値を知ることに依存すると考えるべきではない
    2. 現在・未来の人間の間で、誰かに対する何らかのレレヴァントな道徳的義務があるのかをオープンクエスチョンにしておくのは避けるべき
    3. 未来の人の知り得ない利害や、未来の人についてのその選択の帰結を知ることに依存すべきではない
  • よって筆者の回答は

(Revelatory Autonomy) The moral right to autonomously decide to discover how one’s life will go and who one will become by making a transformative choice.
啓示的自律性:変容的選択をすることによって、自分の人生がどのようになるか、自分はどのような人間になるのかを明らかにすることを、自律的に決定する道徳的権利

  • これは単なる自律への権利ではない。
    • 単なる自律への権利の場合、例えば、他者は現在の本人や将来の自分の自律性を尊重するように行動すべきかどうかわからない(相反する可能性がある)という問題が生じる。
  • しかし自由な選択をすることは道徳的に重要なのか?
    • おそらく、一般的に自由な選択をすることが許容されてることに具体的な道徳的価値はない。
    • ではなぜ上記の権利があるのか
  • それは、自律的自己形成(autonomous self-making)の道徳的価値があるから。
    • 選択をすることではなく、自分の核となる選好や価値観がどんな風になるのかを学ぶための自律的選択に価値がある
    • 自分がどんな風になるのかを学ぶために学ぶことを自分で決めることは、自己真正性(self-authorship)を与える
  • この権利は次の対応する義務を生じさせる

(Revelatory Non-Interference) The moral duty not to interfere in the autonomous self-making of others, through their choosing to undergo transformative experiences to discover who they will become.
啓示的非干渉:自分がどうなるかを明らかにする変容的経験を経験することを選ぶことを通じて他者の自律的自己形成をすることに対し、干渉しない道徳的義務

  • よって、啓示的自律性への権利に勝る場合にのみ、他者の変容的選択に干渉することが許容可能
  • この条件つきの回答は、上の妥当性条件を満たしてる。
  • また、啓示的自律の権利は自律的自己形成の価値に基づいてるので、他のものより道徳的価値が高い。
    • そのため、例えば、大学に行くことは初めてチーズバーガーを食べることよりも選好やアイデンティティ、価値観に影響を与える可能性が高いので、干渉の道徳的理由の強さはかなり大きくなければならない
  • 筆者の議論への反論:強制や操作ならダメそうだが、合理的説得はどうか。これは理由や証拠を提供し、合理的意思決定を促進することを目的としている。
  • しかし、以下のことを区別して考えよう。
    • (a)有能な推論者としての能力を尊重するという意味での、自律性の端的な尊重
    • (b)啓示的自律性の尊重、つまり、ある時期に、自己形成や変容的選択を通じて自分が誰になるかを学ぶための特定の決定を行う権利の尊重
    • 合理的説得は行為者が有能な推論者であることを尊重するもの(a)であるが、それは行為者の自律的自己形成を尊重すること(b)を含意しない。
  • (b)を含意しないケースとして、例えば、行為者が認識的自律性を行使できない時期(早期とか)や方法(強引に)で合理的反論を与えることとかがある(Tsai 2014)*2
  • また、ここでは変容的選択の文脈で考えてる。
    • 行為者の自律性を端的に尊重しつつ(a)、啓示的自律性の権利を侵害する方法として、あたかも自分が認識的に特権的立場にあるかのように、見た目上の理由、議論、証拠を与えようとすることがある。
      • だがそれは行使屋の自律的自己形成を軽視(disrespect)してる

4. Conclusion

[省略]

*1:変容的経験については以下の本が基本文献。

*2:Tsai, G. 2014. Rational persuasion as paternalism. Philosophy and Public Affairs 42: 78–112.

2022年に読んだ本

 

去年の記事

mtboru.hatenablog.com

 

 

去年まで読書メーターで一年間分をまとめてブログ出力ができていたのに、今年はなぜか使えなくなっているので、月ごとのまとめはやめて読んでよかった本だけ手動でまとめます。

 

読んだ本:102冊

読んだページ:29013ページ(79.5/day)

月ごとの読書量の変化

全体を通して

今年は明らかに本より論文を読んだ年だったので、去年よりも本の読書量は減った。それでも一月に一冊以上は読んでいたようなので、総合的にはよかったと思う。

本は体系的な知識が得られるが、その分量も多く時間がかかるので、論文を読むよりもハードルが高い。だが分野外のことを知るには論文より本のほうがよい場合が多いので(特に教科書的なものであれば)、これからも積極的に読むようにしたい。

 

読んでよかった本(特によかったのは太字)

  1. Gallagher and Zahavi (2020) The Phenomenological Mind 3rd edition
  2. ソームズ (2021) 意識はどこから生まれてくるのか
  3. オニール (2018) あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠
  4. トロント (2020) ケアするのは誰か?: 新しい民主主義のかたちへ
  5. チャルマーズ (2013) 改訂新版 科学論の展開
  6. ヨーン (2013) 自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか
  7. ブレイク (2019) 最小の結婚: 結婚をめぐる法と道徳書評を書いてます)
  8. Shafer-Landau (2005) Moral Realism: A Defence
  9. ソーバー (2012) 科学と証拠―統計の哲学 入門―
  10. 池上 (1990) 動物裁判
  11. 和泉 (2022) 悪い言語哲学入門書評を書いてます)
  12. クレイン (2010) 心の哲学―心を形づくるもの
  13. 串田、平本、林 (2017) 会話分析入門
  14. 三牧 (2013) ポライトネスの談話分析 ―初対面コミュニケーションの姿としくみ
  15. 幸田 (2021) 魚にも自分がわかる ――動物認知研究の最先端
  16. サイダー (2007) 四次元主義の哲学―持続と時間の存在論
  17. 柏端 (2017) 現代形而上学入門
  18. ノーマン (2001) 道徳の哲学者たち―倫理学入門
  19. Norcross (2020) Morality by Degrees: Reasons Without Demands
  20. 滝浦 (2005) 日本の敬語論
  21. ブラウン、レヴィンソン (2011) ポライトネス 言語使用における、ある普遍現象
  22. Broome (2013) Rationality Through Reasoning
  23. Killmister (2017) Taking the Measure of Autonomy: A Four-Dimensional Theory of Self-Governance
  24. Woodard (2019) Taking Utilitarianism Seriously書評を書いてます)
  25. Wiland (2021) Guided by Voices: Moral Testimony, Advice, and Forging a "We"ch.7の元論文の要約
  26. 成田 (2021) 幸福をめぐる哲学: 「大切に思う」ことへと向かって
  27. スロート (2021) ケアの倫理と共感
  28. van Zyl (2018) Virtue Ethics: A Contemporary Introductionch.9の要約
  29. マッカスキル (2018) 〈効果的な利他主義〉宣言! ――慈善活動への科学的アプローチ
  30. Cochrane (2019) Should Animals Have Political Rights?ch.6の要約
  31. Driver (2001) Uneasy Virtue
  32. Lackey (2008) Learning from Words: Testimony As a Source of Knowledge
  33. Gunkel (2012) The Machine Question
  34. クラーク (2015) 生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来
  35. Andrews (2020) How to Study Animal Mindssec.1.2の要約
  36. チャーチランド (2016) 物質と意識(原書第3版):脳科学・人工知能と心の哲学
  37. デネット (2016) 心はどこにあるのか
  38. 中尾 (2015) 人間進化の科学哲学―行動・心・文化―
  39. 鈴木 (2015) ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう: 意識のハード・プロブレムに挑む
  40. 村上 (2021) 脳進化絵巻: 脊椎動物の進化神経学
  41. 村上 (2015) 脳の進化形態学
  42. ソーバー (2009) 進化論の射程―生物学の哲学入門
  43. ヘンリック (2019) 文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉
  44. 倉谷 (2019) 進化する形 進化発生学入門
  45. 網谷 (2020) 種を語ること、定義すること: 種問題の科学哲学
  46. Fischer (2021) Animal Ethics: A Contemporary Introduction
  47. 大坪 (2021) 仲直りの理: 進化心理学から見た機能とメカニズム
  48. Glannon (2022) The Ethics of Consciousness
  49. Shepherd (2018) Consciousness and Moral Status
  50. Andrews (2020) The Animal Mind 2nd edition
  51. デネット (2018) 心の進化を解明する ―バクテリアからバッハへ―
  52. Knight (2011) The Costs and Benefits of Animal Experiments
  53. 千葉 (2022) 現代思想入門
  54. 石原編 (2021) アイヌからみた北海道150年
  55. シンガー (2015) あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ

読んだ本102冊に対して55冊なので、前回より良かった本を読めた。良い本かどうかの見分けがつくようになってる。

2020年:20冊/90冊(=0.22)

2021年:45冊/136冊(=0.33)

2022年:55冊/102冊(=0.54)

 

誤解される効果的利他主義(伊藤「「うつわ」的利他−ケアの場面から」での効果的利他主義批判の検討)

本記事では、伊藤編(2021)『「利他」とは何か』に所収されている、伊藤「「うつわ」的利他−ケアの場面から」での効果的利他主義批判を検討する。

 

 

結論から述べれば、伊藤は効果的利他主義について、良くて誤解しており、最悪の場合藁人形論法で批判している。伊藤がどのように効果的利他主義を誤解し、誤った批判をしているかを見ることで、効果的利他主義への誤解がなくなれば幸いである。なお、本記事では伊藤論考の主眼である「うつわ的利他」については触れない*1。また私はkindleで読んでいるため、引用する際はページ数ではなくセクションタイトルで参照する。

 

まず全体的な批判から述べる。伊藤はこの論考の中で、ピーター・シンガー*2には何度か触れているが、日本語で参照できるもう一人の重要人物であるウィリアム・マッカスキルには一切触れていない。効果的利他主義を論じる上でマッカスキルを外すのは全く理解できない。彼はCentre for Effective Altruism(効果的利他主義センター)および効果的利他主義のキャリア支援をする組織「80000 hours」の創設者であり、現在でも効果的利他主義ムーブメントを牽引している人物である*3。マッカスキルの効果的利他主義についての本の邦訳『<効果的な利他主義>宣言!』が出版されたのは2018年であり、伊藤の論考が載っている『「利他」とは何か』は2021年出版なので、目を通しているはずであり、意図的に避けているとしか思えない(あるいは本当に読んでないのかもしれない)。そして以下で述べるように、マッカスキルを参照しないことによる弊害が多数あると筆者は考える。

 

以下では具体的な議論に触れていく。

まず効果的利他主義の説明として、シンガーの本からの引用がなされている。以下でも引用しよう。

効果的な利他主義は非常にシンプルな考え方から生まれています。「私たちは、自分にできる<いちばんたくさんのいいこと>をしなければならない」という考え方です。*4

伊藤はこれをすぐに功利主義につなげる。

自分にできる<いちばんたくさんのいいこと>。ポイントは、「いちばんたくさんの」というところにあります。最大多数の最大幸福。つまりこれは「功利主義」の考え方です。*5

伊藤がマッカスキルを参照していればこんな雑な要約をしなかっただろう。マッカスキルの本の「はじめに」の注3で、功利主義と効果的利他主義の違いが言及されている。そこでの説明によれば、違いは三つある。第一に、功利主義は最大限にできることを要求するが、効果的利他主義では「あなたにできる最大限のよいことをしなければならないという道徳的な義務はない」*6。第二に、功利主義は人権概念を内在的には認めないが、効果的利他主義では「人々の権利を侵害することは認めない」。第三に、功利主義は幸福(well-being)が、そしてそれだけが内在的価値をもつとするが、効果的利他主義には「自由や平等など、幸福以外の価値観も認める余地がある」。*7

さらに伊藤は「効果的利他主義は、単に功利主義をとなえるにとどまらず、幸福を徹底的に数値化します」*8と述べている。そしてその例として、シンガーの本から盲導犬と目の病気についての例が出されている。

アメリカで盲導犬を一頭養成するのに必要な金額は四万ドルである、という数字があげられています。これは発展途上国でトラコーマという目の病気を四〇〇人から二〇〇〇人治療できる金額に相当します。ならば、アメリカ国内での盲導犬の養成よりも、発展途上国での治療のためにお金を払ったほうが、より多くの目の悪い人を助けることができる。つまり「より多くのいいこと」ができるので、発展途上国のトラコーマ治療のために寄付をしたほうが効果的である、と判断されることになります。*9

ここでの説明には二つの問題がある。第一に、効果的利他主義が幸福の数値化をしようとするのは概ね正しいことだが、それは「概ね」である。なぜなら、効果的利他主義が測定しようとしているものが幸福そのものだとは言えないからである。例えばマッカスキルの本で何度も参照される「質調整生存年(QALY)」は、健康である状態のときの生活の質(QOL)を100%としたときに、その生活の質と長さの掛け算で計算される指標である。例えば、QOLが70%で10年生きるとしたら、それは0.7と10をかけて7QALYとなる*10QOLと幸福はもちろん相関するだろうが、QOLは幸福それ自体ではなく、ましてや、QOL功利主義者がよく採用する快楽主義的・選好充足説的な幸福ですらない。さらに、マッカスキルが述べるように*11、「幸福を徹底的に数値化」することは必ずしも重要ではない。様々な慈善団体の活動のインパクトは全く違うものであり、ある程度の数値化さえできれば効果的利他主義の活動にとっては(現時点では)十分である。

第二の問題は、ここで出している例が伊藤の説明したいことに合致してないことである。この例は、症状として目が見えない・見えにくいという点で同じだが、その数が異なっている事例であり、幸福度の数値化は一切されていない。伊藤が幸福度の数値化を説明したかったのならば、数は同じだが異なる病気等についての例を出すべきだろう。

 

次に伊藤は、効果的利他主義が共感を(少なくとも共感に支配された行動を)否定しており(「共感を否定する「数字による利他」」)、またその背景には共感ではうまくいかない地球規模の危機に対応しなければならないことがあるという点を論じている(「背景にある「地球規模の危機」」)。また効果的利他主義に傾く背景的な動機についても検討している(「好かれる人になりましょう?」)。

 

ここまでが伊藤による効果的利他主義の概説である。これ以降、伊藤は効果的利他主義への批判を行う。ただし、伊藤の論考で効果的利他主義が扱われるのは途中までであり、また後半の議論が効果的利他主義をも対象としているかは曖昧であるため、以下では効果的利他主義を対象として批判していると思われる箇所について検討していく。

伊藤は効果的利他主義の問題点を三つあげている。第一に、利他的行動は寄付だけではないはずだが、数値化によってそれがもっとも効果的であるかのようにされている。第二に、数値化という価値観に問題がある。第三に、寄付は必ずしも寄付される側を幸福にしない。筆者は、これらすべての問題点が効果的利他主義への批判としてうまくいっていないか、または批判としてずれたものになっていると考える。以下で理由を説明する。

伊藤があげる第一の問題は、効果的利他主義では寄付ばかりが注目されてしまうというものである。たしかに、効果的利他主義は寄付重視している。だが寄付だけではない。これはシンガーの本(第5章)でさえも触れられていることだが、ここでもマッカスキルの本が参考になるだろう。例えばマッカスキルの本の第6章のタイトルは「投票が数千ドルの寄付に匹敵する理由」であり、投票が効果的利他主義にとって重要な活動の一種であることが示唆されている。さらに第8章では工場畜産についても触れられており、寄付だけでなく肉食を避けることの重要性も議論されている*12。またマッカスキルは第9章でキャリアプランについて触れている。伊藤は、効果的利他主義者はあたかも寄付金を稼ぐためだけにキャリアプランを考えているような書き方をしているが、マッカスキルは慈善組織への参加を初めから否定しているわけではないし、第9章の中で「非常に効果的な組織で直接働く」というセクションタイトルをつけて、それについて論じている。効果的利他主義はただ多額の資金を稼いで寄付するだけの活動ではないし、それだけが効果的であると強調するものでもない。

伊藤があげる第二の問題は数値化という価値観の問題である。ここの議論は筆者にはわかりにくかったが、おそらく伊藤は2つのことを問題にしている。第一に、多額の寄付をするために手段を選ばないことの問題、第二に、数値化による弊害を論じていると思われる。伊藤はこれらの問題点を論じるために、多額の寄付のために稼ぐために金融業に就く事例をあげている。金融業は、まさに利益(お金)の数値だけを見て動いていたがためにリーマン・ショックを引き起こしたとし、「こうした金融危機が再び起きれば、寄付のインパクトを一瞬でかき消してしまうようなネガティブな影響が、貧困国にもたらされるでしょう」*13と述べている。

伊藤がこの事例から引き出そうとしているのは、上に述べた通り、第一に多額の寄付をするために手段を選ばないことの問題、および第二に数値化による弊害という2つの問題だと思われる。だが、仮にそのような問題が効果的利他主義にあるとしても、その問題を議論する上でこの金融業の事例を用いるのは不適切である。まず第一の問題について、この事例は過去の金融業の失敗であり、効果的利他主義の失敗ではない。もし金融業という職種が実のところ効果的ではない(つまり、稼げるが、その寄付を上回る程度に世界を悪化させる見込みがある)ならば、効果的利他主義者はその職種にそもそも就かない。効果的利他主義者にとって重要なのはその見込みであり、効果的利他主義者は「金融危機が再び起きれば、寄付のインパクトを一瞬でかき消してしまうようなネガティブな影響」の生じるリスクも含めて評価する*14。もしそのリスクがその職種に就くことで稼いで寄付することによるインパクトの見込みを上回っており、より効果的な職種が他にあるならば、効果的利他主義者は別の職種に就くだろう。重要なのは確率を含めた評価である。

第二の数値化の弊害を論じる上でも、この事例を用いるのは不適切である。効果的利他主義が数値化しようとしているのは幸福度なりQOLなりを改善する活動のインパクトであって、利益を数値化しようとしているわけではない。またそのインパクトの評価も科学的なプロセス(ランダム化比較実験等)で行われる。数値化する対象もその方法も違うのだから、金融業を引き合いに出して「金融業が数値化によって失敗したのだから効果的利他主義もダメ」などという議論は成立しない。

伊藤があげる第三の問題は、寄付が必ずしも寄付される側を幸福にしないというものである。これを論じるために伊藤は、ハリファックスの『Compassion』*15を参照し、国際援助団体の支援が現地に十分に行き届いていないことを論じている。そして、ハリファックスの「真の利他性は魚の釣り方を教えること」という主張を引用し、魚を与えるだけでは悪しき依存を生み出すだけであり、そのため貧困国の支援においても、多額の資金を投入し病院や家屋、寺院を建てても意味がなく、「地元の労働者といっしょに、地元のリーダーの手によって、生活の再建が進むことが重要なのだ、とハリファックスは言います」と好意的に紹介している。

だがこの問題点も効果的利他主義には当てはまらない。ここの議論には効果的利他主義に関係した二つの問題と、それとは別の問題がある。まず効果的利他主義に関係した問題点として、第一に、そもそもこの事例が効果的利他主義の支援団体の話になっているのかどうか疑わしいことがある。効果的利他主義は、例えば慈善団体を評価している組織であるGiveWellなどを通じて、慈善団体が適切に活動しているかどうかを重視する。もしそうした組織がうまく機能していなければ、そのような組織への寄付はやめるはずである。実際そういう事例がマッカスキルの本の中でも紹介されている*16。第二の問題は、伊藤が(ハリファックスを参照して)例示してる「支援」は「病院」「家屋」「寺院」を建てることだが、効果的利他主義者が寄付する支援先のほとんどはそのようなものではない。ここでGiveWellが現在推奨している団体を見てみよう。

www.givewell.org

上から順に

  1. マラリア予防のための薬
  2. マラリア予防のためのネット(蚊帳)
  3. ビタミンA不足予防のためのサプリメント
  4. 子どもの定期的ワクチン接種のためのインセンティブ

となっている。いずれも深刻な病気による不健康や死を防ぐものであり、建物を建てるなどというものではない。伊藤は効果的利他主義の説明の際に蚊帳などに触れているにもかかわらず、ハリファックスを参照したいがために無理な議論をしてしまっている。

第三の問題は、効果的利他主義とは関係ないが、ここでハリファックスの「真の利他性は魚の釣り方を教えること」というのを無批判に引用していることである。このたとえは、あたかも地元の人々が魚の釣り方も知らない無知な人々であるという不当なイメージを作り出すものであり、修正すべき偏見である。Baber (2017)が論じているように*17、貧困に苦しむ人々にとっての問題の多くは無知や非合理性などではなく、お金がないことである*18。魚を与えるだけでは「悪しき依存を生み出すだけ」などという素朴な偏見を修正すべきである。(加えて、「たとえ」であっても「魚の釣り方」を教えるのは種差別的なものなので、そんなことを教えるべきではない*19)。

 

これ以降、伊藤は効果的利他主義から「数値化」という考えを抽出し、それと利他、管理や支配、ケアとの関係を論じている。その部分が効果的利他主義を対象とした議論なのかどうか定かではない。筆者はその部分の伊藤の議論にもあまり同意できなかったが、本記事の目的は効果的利他主義への批判に反論することだったので、ここまでで反論を終える*20

 

以上見てきたように、伊藤の効果的利他主義批判は、効果的利他主義に全く当てはまらないものである。伊藤は効果的利他主義を、良くて誤解しており、悪ければ藁人形論法によって批判している。こうした紹介のされ方は残念というほかない。

最後に、もしよかったら、私に投げ銭するつもりで GiveWell や Animal Charity Evaluation などに寄付してほしい。

www.givewell.org

animalcharityevaluators.org

 

効果的利他主義については以下のサイトも参考になる。

eajapan.org

*1:一言述べておけば、効果的利他主義が主眼とする利他的行動は、伊藤が問題にしたい利他的行動とはカテゴリーが違っており、伊藤がどうして効果的利他主義を誤って紹介してまで批判した上で「うつわ的利他」につながる議論をしているのかよくわからなかった。

*2:

*3:効果的利他主義についての哲学的問題を論じた論文集の第一章で、マッカスキルは効果的利他主義の定義を行っており、その程度には中心的な人物である。

*4:シンガー (2015)『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』NHK出版. p.7

*5:「私にできる最大の善−−効果的利他主義

*6:効果的利他主義の定義は安定しておらず、マッカスキルの考える効果的利他主義はシンガーの定義から少し離れていると言ってもいいかもしれない。

*7:ただし、マッカスキルのこうした説明は少し雑であると同時に、これ以後の著作との一貫性がない。MacAskill (2019)での効果的利他主義の定義論文では、効果的利他主義での「善」は厚生主義的(welfarist)な用語によって暫定的に理解するとしているし、効果的利他主義の定義の中に人権の侵害を認めないなどというのは含まれていない。さらに功利主義が常に最大化を求めるわけでもない(e.g. Norcross, A. (2020). Morality by Degrees: Reasons Without Demands. OUP)。『<効果的な利他主義>宣言!』ではより万人に受け入れられるためにこうした説明を採用しているのだと思う。しかしいずれにせよ、功利主義と効果的利他主義は異なる立場である。だがこの誤解を伊藤にのみ帰するのはアンフェアだろう。功利主義と効果的利他主義の関係は多くの人々によって誤解されている。これには、私を含め効果的利他主義者の多くが功利主義を自称しているのも原因の一つだろう。

*8:「私にできる最大の善−−効果的利他主義

*9:「私にできる最大の善−−効果的利他主義

*10:同じくマッカスキルの本で登場する「幸福調整生存年(WALY)」での「幸福」(主観的な幸福度報告)は、哲学的には満足のいく測定方法ではないし、それで測定されているのが「幸福」なのかどうかも疑わしい。詳しくはマッカスキルの本の第一章注14を見よ。

*11:『<効果的な利他主義>宣言!』第二章

*12:この点については伊藤も、論考の最後でスナウラ・テイラーを参照しつつ、若干触れている。

*13:「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」

*14:もし金融危機による影響がそれほど甚大なものであるなら、それを防ぐことのインパクトも効果的利他主義者は評価したいと思うのではないだろうか。少なくとも私はそう思う。

*15:

*16:詳細はマッカスキルの本の第7章の「その慈善団体は追加の資金を必要としているか?」を見よ。

*17:Baber, H. E. (2017). "Is Utilitarianism Bad for Women?." Feminist Philosophy Quarterly 3, (4). Article 6. doi:10.5206/fpq/2017.4.6.

*18:適応的選好といった問題が絡む場合は、単にお金がないことだけが問題ではないし、他に様々な複雑な問題が絡んでいる。こういった問題についてはKhader, S. J. (2011). Adaptive preferences and women's empowerment. OUP.を見よ。

*19:テイラーを参照しておいて何の注釈もなしにこんなたとえを引用してしまうあたり、伊藤は魚の声に注意を払っておらず、ケアすることをしていないのだろう。

*20:伊藤は利他と支配などのことを論じており、見返りを期待しないような利他について論じている。効果的利他主義の「利他」はまさにそのような利他ではないだろうか。伊藤は数値化に注目しすぎたばかりに、効果的利他主義と自身の立場の(ある程度の)相性の良さに気づいていないと思う。

帰結主義化(SEP1−3節, Portmore 2022)

  • 1. 帰結主義化は、功利主義を一般的な道徳的意見と調和させる他の試みとどのように異なるのか?(How Consequentializing Differs from Other Attempts to Reconcile Utilitarianism with Common Moral Opinion)
  • 2. 常識的な当為的評決の帰結主義化(Consequentializing Commonsense Deontic Verdicts)
  • 3. 帰結主義化の三つの動機とタイプ(Three Motives for, and Types of, Consequentializing)
    • 3.1 熱心な帰結主義化(Earnest Consequentializing)
    • 3.2 表記的帰結主義化(Notational Consequentializing)
    • 3.3 プラグマティック帰結主義化(Pragmatic Consequentializing)


Portmore, Douglas W., "Consequentializing", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2022 Edition), Edward N. Zalta & Uri Nodelman (eds.), URL = https://plato.stanford.edu/archives/fall2022/entries/consequentializing/.
plato.stanford.edu

後半の記事はこちら(後日)。

  • 行為帰結主義は主要な道徳理論の1つ
    • 広義には、ある行為の究極的なright-making featureは、その結果が、利用可能なあらゆる代替案の結果よりも評価的に劣らないこと
      • ある結果の評価的なランク付けは、さまざまな善さ、あるいはその組み合わせなどでなされる
    • ランク付けの仕方によっていろいろな帰結主義になる
  • 行為功利主義には反直観的な含意があるが、しかし非常に説得的なところもある[4.1節で議論]。
  • 非魅力的なところと説得力を考えると、潜在的に有望な研究プロジェクトは、功利主義の反直観的含意を回避する行為帰結主義のバージョンを考え出すこと
    • 他の非帰結主義的な理論は功利主義の反直観的なところを避けるので、それを帰結主義化する
    • ここで当為的評決(deontic verdict)は、“right”, “obligatory”, “permissible”, “supererogatory”, “ought to be performed”など
      • 評価的用語(good, better)と異なり、直接的に規範的
  • 神学的主意主義(theological voluntarism)の帰結主義化を考えてみよう
    • 神学的主意主義:行為の究極的なright-making featureは神の意志に従うことである
      • 神は十戒を守ることを意志しているとしよう。
    • 帰結主義化するには、right-makerについて、神の意志ではなく結果について考える。
      • 行為の究極的なright-making featureは、その行為の結果が他の利用可能な行為の結果に劣らない(not outranked)ことである、そして
      • ある結果[A]が別の結果[B]より優れている(outrank)のは、行為者がその結果[A]において十戒に違反せず、別の結果[B]において違反するとき、かつそのときに限る
    • この行為帰結主義的対応理論と、もとの神学的主意主義の当為的評決は同じ。
      • しかし対応する行為帰結主義理論では、特定の行為が正しいのは、神の意志によってではなく、行為者が十戒を違反した場合の結果が十戒に違反しない場合の結果に優る、となってる
  • 歴史的には、反直観的含意を避けるための「帰結主義化プロジェクト」だったが、最近は別の理由もある
続きを読む

動物権利活動家の直接行動の擁護(Hardman 2021)

  • 書誌情報
  • Introduction
  • Section One
  • Section Two
  • Section Three
  • Section Four
  • Section Five
  • Conclusion

 

書誌情報

Hardman, I. (pseudonym) In Defense of Direct Action. Journal of Controversial Ideas 2021, 1(1), 2; doi:10.35995/jci01010002.

https://journalofcontroversialideas.org/article/1/1/137/htm

本記事はこの論文の要約(本記事は1万字を超えている)。

本論文の目的は、「過激な」動物権利活動家の(一部の)直接行動(侵入、救出、破壊等)の擁護(1−4節)、および、さしあたり許容可能だとしてもすべきでない理由の簡単な検討(5節)である。

 

Introduction

  • 人間が他人に深刻な危害を不当に与えることを防ぐために、非国家主体であっても強制力を行使することができる点については広く同意されてる
    • しかし、その他者が非ヒト動物の場合はどうか
    • 過激な動物権利活動家の一部は強制力の行使を支持しているが、種の平等主義を唱えるものでさえこれを直接支持する者は少ない
    • 筆者は、動物に深刻かつ不当な危害を加える者に対して強制力を行使することは、さしあたり[prima facie](または一応[pro tanto])道徳的に許されると主張する
  • 以下は筆者の議論
    1. 子犬が深刻かつ不当に害されることを防ぐために強制力を行使することは、さしあたり道徳的に許容可能である
    2. 子犬と他の哺乳類の間に道徳的に顕著な差はない
    3. したがって、哺乳類が深刻かつ不当に害されることを防ぐために強制力を行使することは、さしあたり道徳的に許容可能である
    4. 牛、豚、羊、ネズミなどの哺乳類が食用、衣服用、実験用の研究対象などにされる場合、ほとんどの場合、深刻かつ不当に害されることになる。
    5. そのため、牛、豚、羊、ネズミなどの哺乳類が食用、衣服用、実験用の研究対象にされるのを防ぐために強制力を行使することは、ほとんどの場合、さしあたり道徳的に許容可能である
  • 以下では前提2と4は当然のこととし、前提1を議論する
続きを読む

子犬への危害の不正さからの類推と、限界事例からの議論(Norcross 2004)

書誌情報

Norcross, A. (2004). Puppies, pigs, and people: Eating meat and marginal cases. Philosophical perspectives, 18, 229-245.
philpapers.org

pdf: https://spot.colorado.edu/~heathwoo/readings/norcross.pdf

1. Fred's Basement

  • 動物虐待をしていたフレッドの事例[思考実験]
  • フレッドはチョコが大好きだが、交通事故のせいでチョコの味が変わってしまった。
  • 子犬を虐待するとココアモンが分泌され、それによって味を感じられるようになった
    • 六ヶ月の子犬の苦しみから、一週間分のココアモンがとれる
    • 子犬が苦しむこと自体からは一切の快楽を得てない
    • チョコがなくても死ぬわけではないが、人生はひどく貧しいものになる
  • ほとんどの人はフレッドの行為の正当化に同意しないだろう。
    • 味のために殺すのはダメである、と考えるはず
    • だが、畜産はそのようなことである

2. Fred's Behavior Compared with Our Behavior

  • [畜産とフレッドのケースの違いはなにか]
    • 第一に、フレッドは自分で虐待してるが、多くのアメリカ人は他人に虐待させてる
    • これは関係あるのか?フレッドが他人に頼んでいたらよかったのか?そんなことはない
  • 別の違い:工場畜産ルートだと消費者はそのプロセスをしらないこと
    • だが知らないという言い訳はこの論文を読んでるような人にはできない
  • 別の違い:フレッドの行動は忌まわしいが、私達の行動とは決定的に違う
    • フレッドはチョコを食べなければ犬を拷問することはない。だが私達が食べるのをやめても工場畜産はなくならない、苦しみを防げない
  • これに対する二つの反論
    • 類似ケース:あなたが異国の地に訪れたときにココアモン入りのムースを頼むか(頼もうが頼まかなろうが結果が変わらないとする)
      • 道徳的にまともな(decent)人ならば、これを注文できないことは明白だと思われる
    • 第二の反論は、因果的無効力を否定すること
      • [平均と期待値の話]*1
      • 閾値に到達する時間の短縮にもつながる
  • 別の違い:フレッドのケースでの子犬の苦しみは味覚的快楽を得るのに必要だが、工場畜産の動物の苦しみは経済的理由による副産物
    • 二重結果原理の応用
      • フレッドは子犬の苦しみを意図してるが、あなたはそうではない
  • 二重結果原理はそもそも間違っていそうだが、正しいとしても、このケースではうまくいかない
    • 二重結果原理は、悪い影響が意図されずに予見されるだけでなく、それに勝る良い影響があることを要求してるが、工場畜産の苦しみは非常に大きく、悪い
  • 最後の違い:子犬は道徳的に重要(count)だが、他の食肉にされる動物とは道徳的に重要ではない
    • しかし、子犬にはあり他の動物にはないような道徳的な性質はなさそう
    • 私達がより大切にしている(care more about)、というのは重要な違いかもしれない[が、おそらく間違っている]。
      • 例:韓国での犬食。フレッドが韓国で育っていたら問題なかったのか?このような相対主義は受け入れがたい
      • 仮にcareが重要だとしても、そのcareを違うようにするのはなぜ正当化されるのかの説明が必要。
      • そしてそれは結局、上のように道徳的性質の違いを見つけなければならないことになる

3. The Texan's Challenge*2

  • モーダスポネンスを逆手に取って、子犬の虐待を不正でないという人がいるかも
  • 子犬を虐待したくないというのを、道徳的ではなく、sentimental preferenceとして説明する方向性
    • またそれによってカント的な間接義務論を使うとか、そういう道がある

4. Humans’ versus Animals’ Ethical Status—The Rationality Gambit

  • 議論のために、人間が動物より倫理的に優れた地位にあると主張することは、どのように行動するかを決定する上で動物よりも人間の利害により大きな重みを与えることが道徳的に正しいと主張することである、とする
  • この主張の根拠はなにか?そのような性質を見つけなければならない
    • 合理性がそれかもしれない。

5. The Challenge of Marginal Cases

  • 以上の議論への反論として重大なのは、限界事例からの議論*3
  • この議論への応答には二つの系統がある
    1. 認知的に洗練されてる動物に対して、限界的な事例の人とは異なる道徳的地位を与えることが正当化される
    2. 限界的な人間は道徳的に劣っているが、同等の地位があるかのように扱うためのプラグマティックな理由がある
  • 1の方:この応答は、その特徴が[そのグループで]標準的(normal)かどうかを問題にしてる
    • だがこれは馬鹿げてる。
      • 何らかのグループの統計的な平均をとって、その平均的性質をそのグループのメンバーの誰かに当てはめるのはもっともらしくない。
  • 「種」というカテゴリーは「自然」なので、この反論は当てはまらないかもしれない
    • だが男女の心的能力に統計的に関連した差があることが判明したらどうか。平均的な違いによって、雇用を決めるなどがあってもよいのか。[ダメだろう]
  • 2の方:理性的でない人間を保護するプラグマティックな理由がある。間接義務論的なそれ
    • だがこの考えは、限界事例の人々も同等の道徳的配慮に値すると考える人を満足させることはできないだろう
    • 実践的正当化としても非常に不安定。歴史を考えてみよ。
  • 進化上の理由、種の生存の価値から擁護できるかもしれないが、そこに道徳的関連性を見出すことは難しい

6. Agent and Patient—the Speciesist's Central Confusion

  • そもそもなぜ合理性が重要なのかわからない。
    • 重要なことは、ベンサムの言うように、苦しむことができるかではないか
  • Warren:合理性が道徳的に重要な理由は、協力や非暴力的な問題解決の可能性を高めるから
    • ある種・レベルの合理性が道徳的にレレヴァントであるという点でこの主張は正しいが、その道徳的関連性(relevance)が何に相当するのかの特定において間違っている
      • ある主体が道徳的推論や主張などができなければ、道徳的行為者ではありえない
      • しかし、道徳的行為者になりえないことは、道徳的受動者としての地位においてレレヴァントではないと思われる
        • なぜ道徳的行為者性を持たないことが道徳的受動者としての地位を下げるのかわからない
  • 人間が道徳的責任の重荷を負って、見返りとして自分らへの配慮が強化されないのは不公平だという主張がある
    • しかし、人間が道徳的義務を負うのは、それが可能な生物だからである
  • 別の議論:合理性が重要なのは協力を促進する限りにおいて正しい
    • 道徳の本質を互恵性と捉えれば、合理性の意義は明らか
    • この考え方では、動物に配慮する意味はない
      • だがこの見解は、道徳性とは真逆の、自己利益への関心である
  • 道徳性の本質が互恵性だということに対する筆者の反論は不公平かも
    • 互恵性が重要なのは、私の利害に役立つからではなく、すべての者(all)の利害に役立つから
    • これは「すべての者(all)」の範囲による。ここにすべての有感な生き物が含まれるなら、互恵的になれない動物の重要性は、利益の平等な配慮の方法について教えてくれる
    • 合理性が互恵性に重要であり、互恵性は道徳の究極の目的であると主張するなら、動物の利益を平等に配慮することに対して疑問を投げかけている

*1:mtboru.hatenablog.com

*2:ここのセクションの議論の役割はよくわからなかった。

*3:最近はこの呼び方は避けられており、例えばHortaは「種間の重なりからの議論」と呼んでいる。philpapers.org 以下の本も参照。

反擬人化主義に反対する(Andrews 2020, sec.1.2)

1.2 Anti-anthropomorphism

  • 比較心理学、比較認知学の主要な教科書で擬人化の禁止が書かれている
  • 擬人化禁止の二つの解釈
    • 1:素朴心理学を避けること
    • 2:心理学的性質の不当な帰属を避けること
  • 以下では、これは有害な原則であり、科学的調査の一般的な原則にとって代わるべきだと議論する
1.2.1 Anti-anthropomorphism as Avoid Folk Psychology
  • [まず最初の解釈、素朴心理学を避けることとしての反擬人化主義の検討]
  • 擬人化と素朴心理学が混同されてる
  • 素朴心理学とは?
    • チャーチランド:信念や欲求を含む概念からなる「心理現象の常識的概念」
    • 機能主義:解釈の枠組みの中で因果的な力を持つ構成概念
    • 志向システム:素朴心理学の概念と一般化が現実の行動パターンを摘出するが物理的な因果的要素は摘出しない
  • 筆者としては、機能主義的または志向システムとしての素朴心理学に訴えることが必要だと考えている
    • 動物認知の用語は素朴心理学からきてる
      • 例:"Affiliative relationship" は "friendship" から、 "episodic-like memory" は "memory" から、 "aversive" は "fear" と "dislike" から
  • 行動をまとめて研究する上で、機能的に類似した異なるパターンの動きを同じ行動タイプとして分類したい
    • 機能的類似性は、比較認知研究において種を超えて行動を研究するために重要だと提示されてる[ので、人間にだけ素朴心理学用語を適用しようとするのは不適切で、比較が難しくなる]
  • 素朴心理学を放棄すると、比較心理学者を消去的唯物論者に変えてしまい、人間心理に関しても消去主義を採用しない限り人間と他の動物を比較することが不可能になる[よって、素朴心理学を避けるものとしての反擬人化主義に反対すべき]
1.2.2 Anti-anthropomorphism as Avoid Unjustified Attributions
  • [次に二つ目の解釈の、心理学的性質の不当な帰属を避けることとしての反擬人化主義の検討]
  • 不当な帰属をそもそも避けるべきなのだから、擬人化禁止としてわざわざそれを提示するのは何の参考にもならない
  • またこの原則の問題は、どれが擬人化された性質なのかを前経験的に特定する方法がないこと
    • もし人間に特有の性質であれば、その性質を利用して人間以外の動物の行動を説明するべきではない[つまり擬人化を避けるべき]、ということに同意できるかもしれない
    • しかし、ある性質が人間特有のものであるという主張を正当化することは、調べたが人間以外の動物では見られなかったと言うことだが、これは結果であるべきで、前経験的にわかることではない[よって、心理学的性質の不当な帰属を避けるものとしての反擬人化主義にも反対すべき]
  • そうだとしても、反擬人化主義は有用だとも言われる。次にこれを検討する

1.2.2.1 Operationalize Vocabulary.

  • 反擬人化原則のおかげで、用語を操作的に定義しようとするかもしれない
  • それは[場合によっては]よいことだが、人間にだけ古い用語[素朴心理学用語]を適用し続けると、比較の際に不必要な問題が生じる
  • 前述のように、[機能主義的]素朴心理学用語の使用を否定すると、機能的類似性に頼らずにヒトと非ヒト動物の行動をまとめて一つのカテゴリーに分類することが困難になる
    • 例:アルツハイマー病治療薬の効果を確かめるためにラットを使う場合、そこに機能的類似性がなければどうやって人間と比較するのか?[できないだろう]
  • このようなことが起こるのは有害。必要であれば操作的に定義すべきだが、過度になってる

1.2.2.2 Avoid Forming Relationships with Subjects.

  • [反擬人化原則のおかげで]動物との関係を作ることを避けることで、非科学的に解釈することを避けようとしている
    • だが、例えば人間の子供を研究する場合には関係形成に時間をかける[のに、人間以外の動物との関係形成に時間をかけないのはどう正当化されるのか? されないだろう]
  • 社会性のある動物の研究では、関係形成はその行動の理解に重要。
    • なぜなら、[もし関係形成をしないなら]コミュニケーションが取れないし、[関係の欠如のために]動物の心理的なシステムの一部である足場(scaffold)や動機づけが存在しない可能性があるから
      • 例:過剰模倣は人間だけと言われてきた。しかし、人間であっても外国語を話す人には過剰模倣しないし(Buttelmann et al. 2013)、犬の場合は養育者を過剰模倣するが(Huber et al. 2018)、未知の研究者を過剰模倣しない(Huber et al. forthcoming)ことが最近わかった。[これらは関係形成を避けないことによって得られた知見である]
    • このこと哺乳類だけではない。例えば、ヘビとの関係を築きながら研究する者もいる
  • よって、研究者に関係形成を避けるように指示する限り、反擬人化主義は否定されるべき