ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

快楽主義の擁護(Moen 2016)

  • 快楽主義の定義
  • P1(快楽は内来的価値をもつ)の擁護
    • 道具的に価値的であるだけ
    • 欲求の方が内来的価値をもつ
    • 邪悪な快楽と高貴な苦痛
    • マゾヒストの存在など
  • P2(快楽だけが内来的に価値をもつ)の擁護

Moen, O.M. An Argument for Hedonism. J Value Inquiry 50, 267–281 (2016). https://doi.org/10.1007/s10790-015-9506-9

 

*1

 

快楽主義の定義

快楽主義[Hedonism]は二つの条件からなる。

  • P1:快楽[pleasure]は内来的に[intrinsically]価値的[valuable]であり、苦痛[pain]は内来的に負価値的である。
  • P2:快楽以外に内来的に価値的なものはなく、苦痛以外に内来的に負価値的なものはない

それぞれの条件に対する批判に答えることで快楽主義を擁護する。

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書評:C. Woodard (2019) 『功利主義を真剣に考える(Taking Utilitarianism Seriously)』OUP

  • 忙しい人のために 
  • 本書の内容
    • 第一章:導入
    • 第二章:六つの批判
    • 第三章:理由と正しさの関係
    • 第四章:福利(well-being)
    • 第五章:二種類の理由
    • 第六章〜第九章:道徳的権利、正義と平等、正統性と民主主義、徳
    • 第十章:結論
  • コメント
    • 問題点1:超義務(supererogatory)に関する直観をうまく説明できない
    • 問題点2:パターンの適格性条件の一つをアドホックに説明している
    • 問題点3:保守的になる可能性が高い
    • 問題点4:倫理的諸概念を道具的にしか擁護できない
    • 問題点5:重要な批判のいくつかを検討してない

 

本記事は、Cristopher Woodard (2019) Taking Utilitarianism Seriously, OUPの書評である。

 

Woodardの本書は、2022年時点でおそらく最も新しい功利主義に関するモノグラフ*1であり、ここ最近までの研究蓄積をもとに功利主義を積極的に擁護している。功利主義の魅力の一つは道徳哲学と政治哲学の問題をどちらも単一の理論で論じることにあるが、本書も両方の問題を扱っている。

本書評の構成は以下のとおりである。本書評は全体で2万字を超えているので、まず最初に本書の最も重要なところをまとめる。次に、本書全体の構成を説明し、各章の内容をそれぞれ説明する。最後に、本書に対するコメントを述べる。以下、断りがなければページ数は本書のページ数を表す。

より細かな論点、および補足は注に逃しているので、気になる人は参照されたい。

以下は本書の目次である。

  1. Introduction
    1. What Is Utilitarianism?
    2. What Is to Come
  2. Six Objections
    1. Pig Philosophy
    2. Abhorrent Actions
    3. Demandingness
    4. Separateness of Persons
    5. Politics
    6. Psychology
    7. Conclusion
  3. Basic Ideas
    1. Reasons
    2. Rightness
    3. Two Ways to Avoid Fragmentation
    4. Three Ways to Accommodate Fragmentation
    5. Utilitarian Theories of Reasons
    6. Conclusion
  4. Well-Being
    1. Philosophical Theories of Well-Being
    2. What We Know about Well-Being
    3. Alienation as Evidence
    4. Changing Values
    5. Discovering What Is Good for You
    6. Promoting Well-Being
    7. Conclusion
  5. Two Kinds of Reasons
    1. Act Consequentialism
    2. Pluralism
    3. The Minimal Constraint on Eligibility
    4. Rule Consequentialism
    5. Accepting the Willingness Requirement
    6. Narrowing Eligibility
    7. Conclusion
  6. Moral Rights
    1. The Concept of Moral Rights
    2. Existing Utilitarian Theories of Moral Rights
    3. A Broader Indirect Theory
    4. The Benefits of Respect for Moral Rights
    5. The Contingency of Moral Rights
    6. Conclusion
  7. Justice and Equality
    1. Distributive Justice
    2. Justice for Utilitarians
    3. Kinds of Equality
    4. Utilitarianism and Substantive Equality
    5. Known Expensive Needs
    6. Conclusion
  8. Legitimacy and Democracy
    1. Government House Utilitarianism
    2. Democracy as Eliciting and Aggregating Preferences
    3. Legitimacy and its Political Importance
    4. Utilitarianism and Legitimacy
    5. Should Utilitarians Be Democrats?
    6. Conclusion
  9. Virtuous Agents
    1. Reasons and Rightness
    2. Cluelessness
    3. Good Decision Procedures
    4. Praiseworthiness
    5. Virtue
    6. Conclusion
  10. Conclusion

 

忙しい人のために 

本書の理論的に重要なところは第五章にまとまっている。Woodardは善から理由を、理由から正を説明するという説明関係を前提に、二つの規範理由が存在することを論じる。一つ目は行為に基づく理由であり、これは従来の行為功利主義が認めてきた理由である。二つ目は、これがWoodardの理論の特徴なのだが、パターンに基づく理由である。ここで「パターン」とは、任意のトークン行為の組み合わせから構成されるものである。行為者には、行為に基づく理由だけでなく、適格なパターンに参加することというパターンに基づく理由もある。

従来の行為功利主義への批判として、例えば「帰結を少し改善するためだけに約束を破るべきではない」ことを説明できないというものがある。もちろん行為功利主義側からも応答されてきたが、Woodardはパターンに基づく理由からこれを説明する。この例において、たしかに、帰結がさらに改善されるという意味で約束を破ることへのより強い理由があるが、それは行為に基づく理由である。一方、ここにはパターンに基づく理由もある。行為者は、<すべての人について、その人は約束を守る>というパターン(P)に参加することによって、パターンに基づく理由に基づいて行為することができる。P自体の善さは、その構成要素の各行為から生じる帰結の善さによって評価できる。功利主義においては、Pが生み出す福利によってPの善さが決まる。よって、このPに参加するパターンに基づく理由があるので、約束を守る理由があることを説明できる。

だが、パターンに何の制約もないならば、仮定より、あなたが約束を破れば帰結が改善されるので、ここでの最善のパターンは<あなた以外のすべての人についてその人は約束を守り、あなたは約束を破る>(P*)ということになってしまう*2。Woodardはこれを避けるために、パターンが適格(eligible)であるための制約を三つ設ける。ここで関係する制約は、そのパターンが「慣行(practice)」を構成している場合にのみパターンは適格である、という制約である。これによって、P*は慣行を構成しないので適格ではなく、このパターンに参加するパターンに基づく理由は存在しない。一方、<すべての人について、その人は約束を守る>というパターンPは、約束という慣行を構成するので、適格である。したがって、Pに参加するパターンに基づく理由があるといえる。

Woodardはパターンに基づく理由を用いて、道徳的権利、賞賛に値するという性質、徳などを説明する。パターンの適格性に関して大きな問題があると思うが(本記事の後ろの方で議論する)、少なくとも、今後の発展を期待できる功利主義ではあると思う。

また本書には、パターンに基づく理由にあまり言及しない議論がいくつもある。例えば、功利主義から実質的平等に関する直観をどのように説明するか、政治的正統性をどう説明するかなど、従来の功利主義的議論に新たな議論を追加しており、この辺りの議論はどういう功利主義構想でも利用できるだろう。またWoodardは反照的均衡を求める方法論を採用しているので、直観から大きく外れないように気をつけて議論しているのも、ほとんどの人にとって興味深い点だろう。

*1:一応、Mulganによる功利主義解説本もある。研究書としてはWoodardの本書が最も新しいと思われる。

www.cambridge.org

*2:功利主義を少し知っている人なら、この問題が規則功利主義の行為功利主義への崩壊問題と同型であるのがわかるだろう。Woodardも、自身の理論と規則功利主義の相違を気にしている(5.4節)。簡潔に言えば、規則功利主義はパターンを理想化するが、Woodardの功利主義はパターンを理想化しないため、規則功利主義とは異なる立場である。

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証言の認識論的問題(SEP 4-8節, Leonard 2021)

  • 4. Individualism and Anti-Individualism
  • 5. Authoritative Testimony
  • 6. Group Testimony
  • 7. The Nature of Testimony Itself

 

Leonard, Nick, "Epistemological Problems of Testimony", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2021 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/sum2021/entries/testimony-episprob/>.

 

前半はこちら

mtboru.hatenablog.com

 

今回の記事で扱うのは以下の4つの問題。

  1. 個人主義・反個人主義:証言の正当性は個人主義的に(聞き手に関する要因のみによって)理解されるべきか、それとも反個人主義的に(話し手にも関する要因も含めて)理解されるべきか
  2. 証言の権威性:専門家の証言と素人の証言の違いをどのように理解すべきか
  3. 集団の証言:集団は証言するのか。もしそうなら、私たちは集団の発言からどのように学ぶことができるのか
  4. 証言の本性:証言とはそもそも何か
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証言の認識論的問題(SEP 1-3節, Leonard 2021)

  • 1. Reductionism and Non-Reductionism
  • 2. Knowledge Transmission and Generation
  • 3. Testimony and Evidence

 

Leonard, Nick, "Epistemological Problems of Testimony", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2021 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/sum2021/entries/testimony-episprob/>.

 

元記事は7つの問題をあげ、各問題にそれぞれ1節を割いている。この記事では1-3節を扱う。

  1. 還元主義と非還元主義:証言は正当化の基本的源なのか、それとも他の認識論的源の組み合わせに還元できるのか
  2. 伝達:証言は知識を生み出すことができるのか、それとも単に伝達することができるだけなのか
  3. 証拠との関係:聞き手が話し手の証言に基づいてpと信じることが正当化される時、聞き手の信念は証拠によって正当化されているのか。そして、もしそうなら、その証拠はどこから来ているのか

(元の記事の事例から、名前などを変えている)

後半はこちら。

mtboru.hatenablog.com

*1

*1:認識論一般に関しては以下の本を参照(証言の話は二冊目の方に簡単な議論がある)。

また、還元主義と非還元主義の議論は以下の論文で読める。

Kyoto University Research Information Repository: 証言の認識論--還元主義と反還元主義

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道徳的助言と共同行為(Wiland 2018)

Wiland, E. (2018). Moral Advice and Joint Agency. In Oxford Studies in Normative Ethics Volume 8. : Oxford University Press.

https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780198828310.001.0001/oso-9780198828310-chapter-6

philpapers.org

 

  • 以下の事例を考えよう。
    • ある事例に際して、あなたは何をすべきか迷っている。完璧な道徳的証言者であるソフィーに助言を求めたところ、「Vすべき」だと言われた。ソフィーを信頼して、あなたはVをした。
  • 道徳的証言にまつわる問題の一つは、こうした事例で、あなたは正しいことをしているかもしれないが、正しい理由に基づいて行為してない、それゆえ、その行為に道徳的価値がない、というもの。
  • 筆者はこれに対して二つの議論を行う。*1
    • 1:道徳的証言と助言は異なる*2
    • 2:被助言者が助言者を信頼して行為しているなら、助言者と被助言者は共同行為者を構成し、一緒に行為している
    • そしてそれゆえ、被助言者が助言者を信頼して行為しているなら、構成される共同行為者は正しい理由で正しいことをしている、と言える。それゆえ上記の問題を回避できる。
  • 1を支持する議論
    • 道徳的証言と助言の違いは二つ
      • 第一の違いは、行っているコミュニケーションの違い
        • 証言は、物事がどのようであるかについてのコミュニケーションに関わる
        • 助言は、何をすべきかについてのコミュニケーションに関わる
      • 第二の違いは、信頼することにおける違い
        • 証言を信頼すると、その内容・命題を信じるようになる
        • 助言を信頼すると、助言されたことをする(行為する)ことになる
        • 助言を信頼すると実際の結果をもたらすが、証言を信頼してもそうなる必要はない
    • よって証言と助言は異なる*3
  • 2を支持する議論
    • まず、集合行為者でなくても、共同行為者でありうる
      • 例:一緒に歩いているときには共同行為者を構成している
    • だが、一緒に歩くことと助言のケースには以下の3つの大きな違いがある
      • 1:一緒に歩く場合、共同行為者の各メンバーはほぼ同じこと、つまり歩くこと、を行う
        • 反論:例えば、パーティを二人で一緒に開くとき、作業を分担している場合は別の行為をおこなっている。それでも、一緒にパーティを開いており、共同行為者を構成している。よって、同じ行為をする必要はない
      • 2:共同行為者の各メンバーは何かをする。一方、助言者自身は(助言以外には)実際には何もしないように見えるかもしれない
        • 反論1:オーケストラで、指揮者は指示しかしておらず楽器を演奏してないが、指揮者を演奏者の共同行為者から除外するのはおかしい
        • 反論2:チームのコーチや監督も指示しかしてないが、一緒に行為している
        • よって、指示をしていることで共同行為者の構成メンバーになりうる
      • 3:二人は同時に歩いている。一方、助言の場合は、被助言者が自分の役割を果たす前に、助言者が自分の助言を完了する
        • これは確かに問題。
        • ここでは、助言と実行、あるいは助言と被助言者の決意が時間的に離れている場合を除外し、すぐに何かをする場合を想定する
        • この想定のもとでは、3の違いはそれほど問題にならない
      • 以上から、これら3つの違いは問題ではない。
      • よってこうした違いは、一緒に歩く行為者らが共同行為者を構成するなら、助言者と被助言者が共同行為者を構成していることを否定する理由にならない。
    • また、あなたとソフィーの事例では、ソフィーの助言はあなたの行為に必要かつ重要な要素を与えている
      • あなたはソフィーの助言なしで最もなすべき理由を見つけられたかもしれないが、実際はそうではなかった(そもそも、行為の道徳的価値が問題になるのはそういう事例である)。
      • そしてその場合、ソフィーの助言はあなたの行為に必要かつ重要な要素である
  • 以上から、被助言者が助言者を信頼して行為する時、助言者と被助言者は一緒に行為しており、共同行為者を構成しているといえる。
    • 最初の問題:被助言者は正しい理由に基づいて正しい行為をしているわけではない、を考えよう。
    • 以上の議論から、助言者が正しい理由を認識しており、被助言者が助言者の助言を信頼しているなら、助言者と被助言者は一緒に行為しており、その共同行為者は正しい理由にもとづいて行為しているといえる。
    • よって、この問題は、助言者と被助言者を共同行為者として考えれば解消される。*4

*1:論文では2を支持する議論から始めている。

*2:論文では、命令と助言の類似点・相違点についても議論している。

*3:この理解はA. Hillsの証言・助言の理解と異なるようである(cf. Hills, Alison. “Moral Testimony and Moral Epistemology.” Ethics 120, no. 1 (2009): 94–127. https://doi.org/10.1086/648610. and “Moral Epistemology.” In New Waves in Metaethics, edited by Michael Brady. Palgrave-Macmillan, 2011.)。また道徳的助言を「Aをするのは正しい」という命題を信じることとして扱うこともできると思うので、ここでの助言と証言の区別はそこまでうまくいってないかもしれない。ただ、助言の場合は、道徳的命題を信じることに加えて行為することにつながる、というなら、区別に成功しているかもしれない。

*4:ある程度もっともらしい議論だとは思うが、助言者と被助言者を共同行為者として解釈するにあたって、意図の共有のようなものがあまり議論されてないので、そこが気になる。助言者は被助言者が助言の通り行為することを意図していないだろうし、被助言者もまた、これからする行為の意図を助言者に共有しようとすらしてないだろう。

動物製品の購入・消費の倫理(Fischer 2021 ch.7 後半)

  • 購入と消費の倫理(The Ethics of Purchasing and Consuming)
    • 功利主義(Utilitarianism)
    • 権利論(The Rights View )
    • 徳と自己吟味(Virtue and Self-Examination)

 

本記事は

Fischer, Bob. Animal ethics: A contemporary introduction. Routledge, 2021.

の「第七章:生産と消費の倫理」の消費の部分の読書メモである。

 

伝統的な動物倫理では工場畜産の生産面に関する問題が議論されてきた。非ヒト動物に直接関連した理論的検討はほぼ出尽くしており(Fischer自身、どうやって擁護できるのかわからないと述べている)、現実的にどのように実現していくかという問題に焦点が当たっているように思われる(工場畜産以外の畜産・水産養殖業や動物実験に関してはまだ検討されていると思われる)。

しかし、ここ10年くらいで、生産面に問題があるとしても、そこから生産された製品の消費行動にどのような問題があるかの検討が数多くなされてきた。Fischer自身、この問題について単著を書いている。

 

以下の読書メモを読めばわかるように、消費行動が悪いと主張することは非常に難しい。つまり、工場畜産が悪いとしても、そこから生産された製品の購買がなぜ悪いのかを説明するのは非常に困難である。これは、菜食主義者になる道徳的義務はないかもしれないことを意味する。

日本語でこの辺りの議論を紹介している文献を見たことがないため*1、この読書メモが何らかの参考になれば幸いである。

なお、私自身は功利主義に立つので、菜食主義を義務として決定的に擁護するには経験的証拠が不足していると思っている。

*1:私は別のブログサイトで、これに関する功利主義的議論を紹介している。

あなた1人だけがヴィーガンになっても無意味なのか?——菜食を巡る個人消費の影響と倫理的実践

上記の記事での議論の前提と、Fischerの功利主義的議論の前提の立て方が異なることに注意されたい。どちらが標準的なのかはあまり自信がないが、Fischerの方が標準的かもしれない。

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書評:和泉悠(2022)『悪い言語哲学入門』筑摩書房

  • 0 はじめに
  • 1 内容
  • 2 結局、悪口とは何だったのか?なぜ悪いのか?
  • 3 細かい点について

※要注意:本記事には否定的な表現やセンシティブな表現が含まれます。

0 はじめに

本記事は、和泉悠(2022)『悪い言語哲学入門』筑摩書房、の書評である。

 

本書は「悪い言語」から入る言語哲学入門、そして「悪い言語」の哲学への入門となっている。本書の構成は以下のとおりである(本書には著者によるサポートページがあり、そこでより詳細な目次を見れる)。

第1章 悪口とは何か―「悪い」言語哲学入門を始める
第2章 悪口の分類―ことばについて語り出す
第3章 てめえどういう意味なんだこの野郎?―「意味」の意味
第4章 禿頭王と追手内洋一―指示表現の理論
第5章 それはあんたがしたことなんや―言語行為論
第6章 ウソつけ!―嘘・誤誘導・ブルシット
第7章 総称文はすごい
第8章 ヘイトスピーチ

筑摩書房 悪い言語哲学入門 / 和泉 悠 著

以下ではまず、本書の内容を簡単に説明し、また「悪口」がどのように論じられたのかをまとめる。次に、本書で主題的に扱われている「悪口」の分析について批判的に検討する。また最後に細かい点についていくつか述べる。

なお、評者は言語哲学には疎い。飯田の大全、ライカン、服部の入門書*1、Cappelen and Dever (2019) Bad Language*2 は読んだが、それ以上には深く学べておらず、テクニカルな議論ができない。
また評者はkindle版しかもっていないが、書籍版とページ数が一致してない。参照する場合は、注でkindle版のページ数と特定可能な情報を併記する。

*1:飯田『言語哲学大全』はシリーズ全4巻の、少し古い伝統的な言語哲学への最良の入門だろうと思う。ただ、2巻以降の難易度は高いので、本書や、服部の入門書から入ると良いだろう。

イカンの『言語哲学入門』も優れた入門書だが、これも難易度が高い。

その点、服部『言語哲学入門』は、簡潔かつ広いトピックについてまとめている。

ただ、いずれの本も硬派な入門書であり、本書のような記述スタイルを気に入った人には若干抵抗感があるかもしれない。その点でも本書『悪い言語哲学入門』の価値があるだろう。

*2:この本は翻訳企画が進行中のようである(ブックガイドを参照)。

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