ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

非ヒト動物を民主主義に含める(Cochrane 2019, ch.6)

Cochrane, A. (2019). Should animals have political rights?. John Wiley & Sons.

Ch.6 Democratic Representation

本書は政治哲学で動物倫理的な仕事をしてきたCochraneによる、簡潔な入門書である。道徳的地位の話から始まり、動物福祉法における地位、憲法における地位、法的地位、政治的地位を扱い、非ヒト動物は一定の道徳的、法的、政治的地位を(ヒトと同様に)持っていることが論じられる。そして本章(第六章)ではそれまでの議論を踏まえ、政治的な領域において非ヒト動物を適切に扱うべきであることが前提とされる。よってこの章では、どうやって非ヒト動物を民主主義システムに適切に組み込むかが問題となる。

 

方法1:非ヒト動物に思いやりのある、同情的な人に投票し、その人たちを政策立案者にして、非ヒト動物の利害関心(interests)を政策立案プロセスに組み込む。これは現状のシステムの変更を必要としない。

この方法の問題点は、そういう人が議席獲得できるとは限らないので、非ヒト動物の利害関心が必ずしも保証されないことである。この問題を回避するために、選挙制度を変えて動物政党により公平にする、熟慮フォーラムなどを開き非ヒト動物の利害関心が政策立案に組み込まれるような状況を適切に設計することなどができる。だが、やはり保証されないままだろう。

ではどのように現状のシステムを変えるべきだろうか。

 

方法2:投票権を賦与する。だが、非ヒト動物は投票できず、立法者がかれらを直接代表することもできない。そこで、何らかの専門家委員会やオンブズマン制度を作り、これらが政策立案者に対して圧力をかけることができれば、かれらの利害関心を政策立案に組み込めるかもしれない。

この方法の問題点は、まず、政策立案者が非ヒト動物の利害関心(を代弁した専門家委員会の話)を聞き入れることを保証できないこと、また、専門家委員会が非ヒト動物の利害関心を効果的に反映できるか疑問であることである。通常、立法者が有権者の利害関心を最低限効果的に政策立案プロセスに反映させるのは、選挙による圧力があるからである。よって、何らかの形で、非ヒト動物たちの民主主義的代表権の行使を認めなければならない。

 

方法3:立法機関の議席の一部を非ヒト動物の利害関心の反映のためだけに用意する。そこに就いた人々の仕事は、非ヒト動物の利害関心を聞き入れ、政策に適切に考慮されてるかどうかを考えることだけにする。これは、うまく機能すれば、非ヒト動物の利害関心を保証するだろう。

問題点は、非ヒト動物は投票できず、自身を代表する代議士の質について理解も熟慮もできないので、人間と同じ様には、選挙の圧力によって議員に効果的に職務遂行させるということができないことである。

解決策の一つは、非ヒト動物の代理選挙を行うことである。だが普通に人々が投票するのでは、結局、非ヒト動物の利害関心を反映できることを保証できない。

二つの解決策がある。第一に、代理選挙での投票者を動物擁護組織に限定することで保証できるかもしれない。だが動物擁護組織を適切に選ぶのは難しい。そこで第二に、投票者ではなく候補者側を、司法によって適格だと認められた、非ヒト動物の利害関心にだけ焦点を当てた政党の者だけに限定することで保証できるかもしれない。

しかし、非ヒト動物の複雑な利害関心を適切に代表するにはまだ不十分かもしれない。

 

方法4:代議士を用意するだけでなく、参政権を賦与する。参政権が重要なのは、政策立案者が人々(と非ヒト動物)の利害関心を正しく理解、解釈するために、政策立案者と人々(と非ヒト動物)の間でのコミュニケーションが必要だからであり、この実現には参政権が必要になる。(ここで想定されている参政権は、市民が互いの意見を調整し、議論し、集団政治組織内で結集し、ロビー活動を行い、代表者を選ぶなどである。)

問題点は、そもそも非ヒト動物が政治に参加するなどということができるのかという点である。ドナルドソンとキムリッカ*1は、障害者の参政権の議論を非ヒト動物に援用している。かれらは、現在の政治参加の理解は「合理主義的」であるが、そうではなくて、政治参加を「身体化されたもの」として捉えるべきであると主張する。例えば、障害者が社会の中で生活することによってその存在感自体が政策決定に影響を与えるような事例があり、同様に非ヒト動物(特にコンパニオンアニマルや都市に住む非ヒト野生動物など)の存在感自体が政策決定に影響を与えることができ、その意味で政治に参加することができる。

存在感自体が政治に影響を与えるというのはそうだろう。だが、それを政治参加と全く同じ様に捉えることは疑わしい。例えば天候の存在感も政策決定に影響を与えるが、だからといって政治に参加できるとは思わないだろう。

では、参政権なしに非ヒト動物の利害関心を政策決定に反映するにはどうすればいいだろうか。重要なのは、代議士が非ヒト動物たちの声を聞くことである。良き代議士に必要なのが人々の複雑な利害関心を、人々の声をよく聞く技術であるように、非ヒト動物と面と向かってかれらの声をよく聞くことが、非ヒト動物を代表することにとって必要なことである。非ヒト動物たちは、参政なしの市民権(citizenship)、あるいは市民権なしのメンバーシップとでも呼ばれるものをもつことになる。

 

*1:

本書の読書メモを別の人がブログ記事にまとめているので参照されたい。

davitrice.hatenadiary.jp

状況主義的批判と徳倫理学からの再反論(van Zyl 2018, ch.9)

van Zyl, L. (2018). Virtue ethics: A contemporary introduction. Routledge.

第9章、状況主義的批判のざっとした要約です。*1

状況主義

  • 徳は、さまざまな文脈で時間的に信頼可能で安定してその行動を予測できるようなことが期待される
    • だが状況主義によればそんな特性は存在しない
  • 実験の例
    • ミルグラムの電気刺激の実験、善きサマリア人の研究、援助行動(10円玉が落ちてて拾ったかどうかで援助行動が高まった、という気分研究)、正直な行動をすることと窃盗などをすることとの相関のなさ(幼児を対象とした実験)
  • これらの(より多くの)実験から、性格特性に関する私たちの直観が間違ってる、というのが状況主義からの批判。
    • つまり、私たちの行動は性格より状況の方に影響される。
  • ではなぜ私たちは間違った直観を持つのか?
    • 根本的帰属エラーのバイアス:他人の行動の要因を外部要因ではなく内的特性に帰属しがちだが、自分は逆(自分の場合は状況要因に気づきやすい)
    • 別の説明:公平世界仮説
  • 状況主義的批判の仕方はいろいろある
    • Harman:そんな特性はない(消去主義)
      • 特性があると思って責任帰属とかすると寛容でないことになっていろいろ問題がある、など
    • Doris:グローバルな特性はないが、ローカルな(局所的)特性はある
      • 特定の文脈での特性なら予測できる程度にある

状況主義への反論

  • 反論1:希少性応答(The Rarity Response)
    • 徳は希少で難しいことを示したにすぎない
      • アリストテレス自身、完全な徳を持つ人は少ないことを論じており、状況的要因が行動の安定性に重要なことに同意してる
    • だがこの反論は、状況主義の二つの反論(ロバストな特性としての徳を持つ人はわずかしかいない、および、状況的特徴は個人的特徴より人の行動に影響を与える)の片方(つまり前者)にしか答えてない
  • 反論2:行動主義的応答
    • 状況主義的批判は粗雑な行動主義的モデルに基づいている
      • 性格を、特定の仕方で行為する傾向性の集合とみなしており、[他の]行動のパターンに還元できない内的傾向的要因(情動や感情の傾向性、目的、理由認識、知恵など)を無視している
    • Swantonは、性格特性が期待されるほど行動傾向に関してロバストではないことを認めるが、だからといって内的な要因がないわけではないし、その意味でその性格特性を示しているといえると主張
  • 反論3:道徳的ジレンマと誘惑(Temptation)
    • 状況主義での実験での参加者は道徳的ジレンマに陥っていた。かれらは異なる徳の要求にさらされていた
    • ジレンマにない場合には誘惑があり、有徳でない人がそれに耐えられるかどうかは誘惑の種類による
      • 有徳でないことを示してはいるが、性格特性に言及した行動の説明を排除できない
    • しかし、気分研究の説明がつかない
      • Mark Alfano (2013)は、そうした非理由である要因に行動が大きく影響されるというのが、状況主義の核だという
  • 反論4:気分影響の最小化
    • John Sabini and Maury Silver (2005):気分に左右されるのは認めるが、それによって影響される行動はそんなに重要な事柄ではないので、あまり深刻な問題ではない
    • Prinz (2009):気分は人の行動に大きな影響を与えるし、道徳的行動にも影響を与える
  • 反論5:人為的徳(factitious virtue)
    • Alfanoは、ほとんどの人がグローバルな性格特性をもってないことが徳倫理への問題であることを認め、状況要因の操作が重要だと言うことも認めた上で、その操作の方法の一つとして「徳ラベリング」を考えている
      • 例:「正直者だね」と言われると、正直者と一致するような行動をとりやすくなる
    • これを支持するためのさまざまな研究を引用している
      • 例:募金した人に寛大のレッテルを貼ると、二週間後に別の団体に寄附する可能性が高い(Kraut 1973)
    • この意味で、徳は有用なフィクションである
  • 反論6:徳を獲得するためにより努力する
    • MillerおよびBesser-Jonesはそれぞれ、ほとんどの人が伝統的な徳や悪徳を持ってないことを認めているが、それは徳倫理の完全否定の十分な理由にならないと考えている
    • 徳倫理が妥当な規範理論かどうかは、それを身につけることが可能かどうかにかかってる
      • 誘惑への対処、微妙で無意識的な要因の影響の調整などの方法を学ばなければならない。
    • 有望な戦略は以下の通り
      1. 有徳な性格と有徳な行為のモデルを利用する
        • 道徳教育では、実在・架空のロールモデルの物語を使って、子どもたちに有徳なあり方を教えるし、一定の効果を見込めることが経験的研究で示されてる
      2. 道徳的行動に影響を与える心理的プロセスにより気づきやすくする
      3. 自己規制理論(self-regulation theory)を参照した戦略
        • より具体的な計画や実行の意図を形成することで、目標追求をより効率的に行えるようになる

状況主義からの別の反論

  • 実践的合理性への反論
    • 性格の改善の戦略は全て、道徳的行動は合理的思考の結果である(少なくともありうる)という主張に依拠しているが、そうではないという批判を状況主義者は展開している
  • これに関する二重プロセス理論による説明がある(意識的プロセスと非意識的・自動的プロセス)
  • アリストテレス主義は意思決定での自動的プロセスの役割を認めているが、同時に、そうした自動的プロセスが批判的反省に利用可能であると仮定している
    • しかし、自動的プロセスは、その人の反省的に支持された価値観にほとんど影響されないことが示唆されてる
    • このことは、MillerやBesser-Jonesの戦略に望みがないことを示している
  • すると、一番の望みは、道徳的認知の望ましい側面を自動的に活性化させる可能性の高い状況に身を置くことであると思われる
    • 行動の一貫性は、性格の安定性ではなく、環境、特に他者からの期待の安定性の表れである

経験的根拠に基づく徳倫理

  • Snowの徳倫理
    • Snowは、以下の三つが経験的に支持されてると主張
      1. グローバルな性格特性が存在する。
      2. 伝統的に考えられてきた性格特性は、そのような特性の一部である。
      3. 私たちは徳を身につけることが可能である。
  • Snowは認知・感情処理システム(CAPS)としてのパーソナリティ理論を参照する
    • CAPSシステムの構成要素は、「認知-感情ユニット」と呼ばれ、信念、欲求、感情、期待、目標、価値観などの変数を含んでいる。これらの変数は、外的または状況的な特徴によって活性化されるだけでなく、内在的な刺激(例えば、思考、推論、想像)によっても活性化されることがある
      • MischelとShodaは、状況主義者がロバストな特性の証拠を見いだせないのは、被験者の状況に対する解釈を考慮せず、純粋に客観的な用語で状況を記述しているからではないか、と考えた
      • そして実験してみたら、子どもたちは安定した状況-行動プロファイルを示した*2
    • Snowは、これらの知見がCAPS特性の存在を支持していると考えている
      • 性格特性(美徳と悪徳)はCAPS特性のサブセットである。有徳な傾向性は、CAPS特性同様、「思考、動機、感情反応の特徴的なタイプの比較的安定した構成で、『待機』しており、適切な刺激に反応して起動する準備ができている」
  • Snowはさらに、Annas*3やRussellを参照し、徳の獲得と行使は非意識的プロセスに依存する、実践的スキルに似ていると考えているようである

*1:日本語で読める状況主義をめぐる状況に関して、立花(2016)「徳と状況 徳倫理学と状況主義の論争」In 太田編『モラル・サイコロジー』春秋社

、が参考になるだろう。また、関連するブログ記事として以下のようなものがある。emerose.hatenablog.comemerose.hatenablog.com

*2:これはDorisのローカルな特性と矛盾しないだろう(Doris 2002 ch.4)。もしSnowのような方向性で徳倫理学を発展させるならば、状況主義者と徳倫理学者の間の相違はかなり小さくなるかもしれない。

*3:

快楽主義の擁護(Moen 2016)

  • 快楽主義の定義
  • P1(快楽は内来的価値をもつ)の擁護
    • 道具的に価値的であるだけ
    • 欲求の方が内来的価値をもつ
    • 邪悪な快楽と高貴な苦痛
    • マゾヒストの存在など
  • P2(快楽だけが内来的に価値をもつ)の擁護

Moen, O.M. An Argument for Hedonism. J Value Inquiry 50, 267–281 (2016). https://doi.org/10.1007/s10790-015-9506-9

 

*1

 

快楽主義の定義

快楽主義[Hedonism]は二つの条件からなる。

  • P1:快楽[pleasure]は内来的に[intrinsically]価値的[valuable]であり、苦痛[pain]は内来的に負価値的である。
  • P2:快楽以外に内来的に価値的なものはなく、苦痛以外に内来的に負価値的なものはない

それぞれの条件に対する批判に答えることで快楽主義を擁護する。

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書評:C. Woodard (2019) 『功利主義を真剣に考える(Taking Utilitarianism Seriously)』OUP

  • 忙しい人のために 
  • 本書の内容
    • 第一章:導入
    • 第二章:六つの批判
    • 第三章:理由と正しさの関係
    • 第四章:福利(well-being)
    • 第五章:二種類の理由
    • 第六章〜第九章:道徳的権利、正義と平等、正統性と民主主義、徳
    • 第十章:結論
  • コメント
    • 問題点1:超義務(supererogatory)に関する直観をうまく説明できない
    • 問題点2:パターンの適格性条件の一つをアドホックに説明している
    • 問題点3:保守的になる可能性が高い
    • 問題点4:倫理的諸概念を道具的にしか擁護できない
    • 問題点5:重要な批判のいくつかを検討してない

 

本記事は、Cristopher Woodard (2019) Taking Utilitarianism Seriously, OUPの書評である。

 

Woodardの本書は、2022年時点でおそらく最も新しい功利主義に関するモノグラフ*1であり、ここ最近までの研究蓄積をもとに功利主義を積極的に擁護している。功利主義の魅力の一つは道徳哲学と政治哲学の問題をどちらも単一の理論で論じることにあるが、本書も両方の問題を扱っている。

本書評の構成は以下のとおりである。本書評は全体で2万字を超えているので、まず最初に本書の最も重要なところをまとめる。次に、本書全体の構成を説明し、各章の内容をそれぞれ説明する。最後に、本書に対するコメントを述べる。以下、断りがなければページ数は本書のページ数を表す。

より細かな論点、および補足は注に逃しているので、気になる人は参照されたい。

以下は本書の目次である。

  1. Introduction
    1. What Is Utilitarianism?
    2. What Is to Come
  2. Six Objections
    1. Pig Philosophy
    2. Abhorrent Actions
    3. Demandingness
    4. Separateness of Persons
    5. Politics
    6. Psychology
    7. Conclusion
  3. Basic Ideas
    1. Reasons
    2. Rightness
    3. Two Ways to Avoid Fragmentation
    4. Three Ways to Accommodate Fragmentation
    5. Utilitarian Theories of Reasons
    6. Conclusion
  4. Well-Being
    1. Philosophical Theories of Well-Being
    2. What We Know about Well-Being
    3. Alienation as Evidence
    4. Changing Values
    5. Discovering What Is Good for You
    6. Promoting Well-Being
    7. Conclusion
  5. Two Kinds of Reasons
    1. Act Consequentialism
    2. Pluralism
    3. The Minimal Constraint on Eligibility
    4. Rule Consequentialism
    5. Accepting the Willingness Requirement
    6. Narrowing Eligibility
    7. Conclusion
  6. Moral Rights
    1. The Concept of Moral Rights
    2. Existing Utilitarian Theories of Moral Rights
    3. A Broader Indirect Theory
    4. The Benefits of Respect for Moral Rights
    5. The Contingency of Moral Rights
    6. Conclusion
  7. Justice and Equality
    1. Distributive Justice
    2. Justice for Utilitarians
    3. Kinds of Equality
    4. Utilitarianism and Substantive Equality
    5. Known Expensive Needs
    6. Conclusion
  8. Legitimacy and Democracy
    1. Government House Utilitarianism
    2. Democracy as Eliciting and Aggregating Preferences
    3. Legitimacy and its Political Importance
    4. Utilitarianism and Legitimacy
    5. Should Utilitarians Be Democrats?
    6. Conclusion
  9. Virtuous Agents
    1. Reasons and Rightness
    2. Cluelessness
    3. Good Decision Procedures
    4. Praiseworthiness
    5. Virtue
    6. Conclusion
  10. Conclusion

 

忙しい人のために 

本書の理論的に重要なところは第五章にまとまっている。Woodardは善から理由を、理由から正を説明するという説明関係を前提に、二つの規範理由が存在することを論じる。一つ目は行為に基づく理由であり、これは従来の行為功利主義が認めてきた理由である。二つ目は、これがWoodardの理論の特徴なのだが、パターンに基づく理由である。ここで「パターン」とは、任意のトークン行為の組み合わせから構成されるものである。行為者には、行為に基づく理由だけでなく、適格なパターンに参加することというパターンに基づく理由もある。

従来の行為功利主義への批判として、例えば「帰結を少し改善するためだけに約束を破るべきではない」ことを説明できないというものがある。もちろん行為功利主義側からも応答されてきたが、Woodardはパターンに基づく理由からこれを説明する。この例において、たしかに、帰結がさらに改善されるという意味で約束を破ることへのより強い理由があるが、それは行為に基づく理由である。一方、ここにはパターンに基づく理由もある。行為者は、<すべての人について、その人は約束を守る>というパターン(P)に参加することによって、パターンに基づく理由に基づいて行為することができる。P自体の善さは、その構成要素の各行為から生じる帰結の善さによって評価できる。功利主義においては、Pが生み出す福利によってPの善さが決まる。よって、このPに参加するパターンに基づく理由があるので、約束を守る理由があることを説明できる。

だが、パターンに何の制約もないならば、仮定より、あなたが約束を破れば帰結が改善されるので、ここでの最善のパターンは<あなた以外のすべての人についてその人は約束を守り、あなたは約束を破る>(P*)ということになってしまう*2。Woodardはこれを避けるために、パターンが適格(eligible)であるための制約を三つ設ける。ここで関係する制約は、そのパターンが「慣行(practice)」を構成している場合にのみパターンは適格である、という制約である。これによって、P*は慣行を構成しないので適格ではなく、このパターンに参加するパターンに基づく理由は存在しない。一方、<すべての人について、その人は約束を守る>というパターンPは、約束という慣行を構成するので、適格である。したがって、Pに参加するパターンに基づく理由があるといえる。

Woodardはパターンに基づく理由を用いて、道徳的権利、賞賛に値するという性質、徳などを説明する。パターンの適格性に関して大きな問題があると思うが(本記事の後ろの方で議論する)、少なくとも、今後の発展を期待できる功利主義ではあると思う。

また本書には、パターンに基づく理由にあまり言及しない議論がいくつもある。例えば、功利主義から実質的平等に関する直観をどのように説明するか、政治的正統性をどう説明するかなど、従来の功利主義的議論に新たな議論を追加しており、この辺りの議論はどういう功利主義構想でも利用できるだろう。またWoodardは反照的均衡を求める方法論を採用しているので、直観から大きく外れないように気をつけて議論しているのも、ほとんどの人にとって興味深い点だろう。

*1:一応、Mulganによる功利主義解説本もある。研究書としてはWoodardの本書が最も新しいと思われる。

www.cambridge.org

*2:功利主義を少し知っている人なら、この問題が規則功利主義の行為功利主義への崩壊問題と同型であるのがわかるだろう。Woodardも、自身の理論と規則功利主義の相違を気にしている(5.4節)。簡潔に言えば、規則功利主義はパターンを理想化するが、Woodardの功利主義はパターンを理想化しないため、規則功利主義とは異なる立場である。

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証言の認識論的問題(SEP 4-8節, Leonard 2021)

  • 4. Individualism and Anti-Individualism
  • 5. Authoritative Testimony
  • 6. Group Testimony
  • 7. The Nature of Testimony Itself

 

Leonard, Nick, "Epistemological Problems of Testimony", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2021 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/sum2021/entries/testimony-episprob/>.

 

前半はこちら

mtboru.hatenablog.com

 

今回の記事で扱うのは以下の4つの問題。

  1. 個人主義・反個人主義:証言の正当性は個人主義的に(聞き手に関する要因のみによって)理解されるべきか、それとも反個人主義的に(話し手にも関する要因も含めて)理解されるべきか
  2. 証言の権威性:専門家の証言と素人の証言の違いをどのように理解すべきか
  3. 集団の証言:集団は証言するのか。もしそうなら、私たちは集団の発言からどのように学ぶことができるのか
  4. 証言の本性:証言とはそもそも何か
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証言の認識論的問題(SEP 1-3節, Leonard 2021)

  • 1. Reductionism and Non-Reductionism
  • 2. Knowledge Transmission and Generation
  • 3. Testimony and Evidence

 

Leonard, Nick, "Epistemological Problems of Testimony", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2021 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/sum2021/entries/testimony-episprob/>.

 

元記事は7つの問題をあげ、各問題にそれぞれ1節を割いている。この記事では1-3節を扱う。

  1. 還元主義と非還元主義:証言は正当化の基本的源なのか、それとも他の認識論的源の組み合わせに還元できるのか
  2. 伝達:証言は知識を生み出すことができるのか、それとも単に伝達することができるだけなのか
  3. 証拠との関係:聞き手が話し手の証言に基づいてpと信じることが正当化される時、聞き手の信念は証拠によって正当化されているのか。そして、もしそうなら、その証拠はどこから来ているのか

(元の記事の事例から、名前などを変えている)

後半はこちら。

mtboru.hatenablog.com

*1

*1:認識論一般に関しては以下の本を参照(証言の話は二冊目の方に簡単な議論がある)。

また、還元主義と非還元主義の議論は以下の論文で読める。

Kyoto University Research Information Repository: 証言の認識論--還元主義と反還元主義

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道徳的助言と共同行為(Wiland 2018)

Wiland, E. (2018). Moral Advice and Joint Agency. In Oxford Studies in Normative Ethics Volume 8. : Oxford University Press.

https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780198828310.001.0001/oso-9780198828310-chapter-6

philpapers.org

 

  • 以下の事例を考えよう。
    • ある事例に際して、あなたは何をすべきか迷っている。完璧な道徳的証言者であるソフィーに助言を求めたところ、「Vすべき」だと言われた。ソフィーを信頼して、あなたはVをした。
  • 道徳的証言にまつわる問題の一つは、こうした事例で、あなたは正しいことをしているかもしれないが、正しい理由に基づいて行為してない、それゆえ、その行為に道徳的価値がない、というもの。
  • 筆者はこれに対して二つの議論を行う。*1
    • 1:道徳的証言と助言は異なる*2
    • 2:被助言者が助言者を信頼して行為しているなら、助言者と被助言者は共同行為者を構成し、一緒に行為している
    • そしてそれゆえ、被助言者が助言者を信頼して行為しているなら、構成される共同行為者は正しい理由で正しいことをしている、と言える。それゆえ上記の問題を回避できる。
  • 1を支持する議論
    • 道徳的証言と助言の違いは二つ
      • 第一の違いは、行っているコミュニケーションの違い
        • 証言は、物事がどのようであるかについてのコミュニケーションに関わる
        • 助言は、何をすべきかについてのコミュニケーションに関わる
      • 第二の違いは、信頼することにおける違い
        • 証言を信頼すると、その内容・命題を信じるようになる
        • 助言を信頼すると、助言されたことをする(行為する)ことになる
        • 助言を信頼すると実際の結果をもたらすが、証言を信頼してもそうなる必要はない
    • よって証言と助言は異なる*3
  • 2を支持する議論
    • まず、集合行為者でなくても、共同行為者でありうる
      • 例:一緒に歩いているときには共同行為者を構成している
    • だが、一緒に歩くことと助言のケースには以下の3つの大きな違いがある
      • 1:一緒に歩く場合、共同行為者の各メンバーはほぼ同じこと、つまり歩くこと、を行う
        • 反論:例えば、パーティを二人で一緒に開くとき、作業を分担している場合は別の行為をおこなっている。それでも、一緒にパーティを開いており、共同行為者を構成している。よって、同じ行為をする必要はない
      • 2:共同行為者の各メンバーは何かをする。一方、助言者自身は(助言以外には)実際には何もしないように見えるかもしれない
        • 反論1:オーケストラで、指揮者は指示しかしておらず楽器を演奏してないが、指揮者を演奏者の共同行為者から除外するのはおかしい
        • 反論2:チームのコーチや監督も指示しかしてないが、一緒に行為している
        • よって、指示をしていることで共同行為者の構成メンバーになりうる
      • 3:二人は同時に歩いている。一方、助言の場合は、被助言者が自分の役割を果たす前に、助言者が自分の助言を完了する
        • これは確かに問題。
        • ここでは、助言と実行、あるいは助言と被助言者の決意が時間的に離れている場合を除外し、すぐに何かをする場合を想定する
        • この想定のもとでは、3の違いはそれほど問題にならない
      • 以上から、これら3つの違いは問題ではない。
      • よってこうした違いは、一緒に歩く行為者らが共同行為者を構成するなら、助言者と被助言者が共同行為者を構成していることを否定する理由にならない。
    • また、あなたとソフィーの事例では、ソフィーの助言はあなたの行為に必要かつ重要な要素を与えている
      • あなたはソフィーの助言なしで最もなすべき理由を見つけられたかもしれないが、実際はそうではなかった(そもそも、行為の道徳的価値が問題になるのはそういう事例である)。
      • そしてその場合、ソフィーの助言はあなたの行為に必要かつ重要な要素である
  • 以上から、被助言者が助言者を信頼して行為する時、助言者と被助言者は一緒に行為しており、共同行為者を構成しているといえる。
    • 最初の問題:被助言者は正しい理由に基づいて正しい行為をしているわけではない、を考えよう。
    • 以上の議論から、助言者が正しい理由を認識しており、被助言者が助言者の助言を信頼しているなら、助言者と被助言者は一緒に行為しており、その共同行為者は正しい理由にもとづいて行為しているといえる。
    • よって、この問題は、助言者と被助言者を共同行為者として考えれば解消される。*4

*1:論文では2を支持する議論から始めている。

*2:論文では、命令と助言の類似点・相違点についても議論している。

*3:この理解はA. Hillsの証言・助言の理解と異なるようである(cf. Hills, Alison. “Moral Testimony and Moral Epistemology.” Ethics 120, no. 1 (2009): 94–127. https://doi.org/10.1086/648610. and “Moral Epistemology.” In New Waves in Metaethics, edited by Michael Brady. Palgrave-Macmillan, 2011.)。また道徳的助言を「Aをするのは正しい」という命題を信じることとして扱うこともできると思うので、ここでの助言と証言の区別はそこまでうまくいってないかもしれない。ただ、助言の場合は、道徳的命題を信じることに加えて行為することにつながる、というなら、区別に成功しているかもしれない。

*4:ある程度もっともらしい議論だとは思うが、助言者と被助言者を共同行為者として解釈するにあたって、意図の共有のようなものがあまり議論されてないので、そこが気になる。助言者は被助言者が助言の通り行為することを意図していないだろうし、被助言者もまた、これからする行為の意図を助言者に共有しようとすらしてないだろう。