ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

語「犬笛」の暴力性

 政治に関する話題で、少し前から「犬笛」という単語が使われるようになった。

 「犬笛 dog whistle」には二種類の意味がある。Cambridge Dictionalyによれば

  1. 犬を訓練するために使用される笛で、人間には聞こえない非常に高い音がする
  2. 特定のグループ、特に人種差別やヘイトの感情を持つ人々に理解されることを意図して、しかし実際にはこれらの感情を表現することなく行われる、政治家による発言、スピーチ、広告など

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/dog-whistle

 2の意味は1の意味をもとにして派生した意味である。犬笛の例、そして犬笛の悪さに関しては以下の動画が参考になるだろう。

政治家が使う秘密の「犬笛」 隠れた人種差別メッセージとは - BBCニュース

 

 私がここで問題にしたいのは、犬笛という現象ではない。その現象を指示する単語として「犬笛」を使うことである。

 「犬笛」の第一の意味をもう一度みてほしい。

  1. 犬を訓練するために使用される笛で、人間には聞こえない非常に高い音がする

犬笛は、原義的には、犬の訓練、しつけに使われる笛である。表現の意図するところが伝わってくれることを願うが、犬笛は、犬を飼い主に従属させるための道具である。

 

 

 この犬笛の暴力性を顕著に描いているのが、上橋菜穂子の小説『獣の奏者』である。

book-sp.kodansha.co.jp

獣の奏者』はフィクション小説で、そこでは王獣とよばれる動物が登場する。王獣は本来野生のなかで生きているのだが、王獣は人間に捕獲され、王様に献上され、人の飼育下に入り、しつけられる。

 王獣は大きな爪や牙を持っているので、簡単に人を食い殺すことができる。そこで、その制御のために「音無し笛」が用いられる。この音無し笛は、犬笛をより暴力的にしたものである。音無し笛を吹くと、人間には聞こえない音が発せられ、それを聞いた王獣は硬直し、動けなくなる。音無し笛は、王獣が人間に危害を加えようとした際や、王獣のしつけにおいて罰を与えるために使われる。また音無し笛を何度も聞かせ続けると、王獣はけいれんなどの症状を起こす。音無し笛はまさに、王獣を人間に従属させる道具として描かれている。

 主人公のエリンは心優しい人物で、この音無し笛を使わずに、幼い王獣リランの面倒を見ることになる。実際、エリンとリランは深い絆を築くことになる。作中では様々なトラブルがあり、音無し笛を使わない飼育は実際にはそんなにうまくいかない。しかし、エリンとリランの間の絆は、他の飼育者と王獣の間にはない特別なものとして描かれる。

 

 犬笛に戻ろう。『獣の奏者』の音無し笛がそうであるように、犬笛もまた、犬をしつけ、従属させる道具である。エリンとリランがそうであったように、犬笛を使わずとも人間と犬も非暴力的方法で絆を築くことはできるだろう。もちろん、犬の性格によっては必要になるケースがあるかもしれない。私は犬のしつけに詳しくないので、全ての犬に関して必要ないとは言わない。そうした特別な状況を除くのであれば、犬笛の目的からして、犬笛が暴力的な道具であることに変わりはないのである。

 まだこの議論に納得がいかないかもしれない。犬笛を使われた犬は、犬笛のことを不快に思っていない可能性があるのではないか、という批判が考えられるだろう。しかしここで問題なのは、犬笛によって犬が不快に感じるか否かではなく、その行為が表現する意味である(ヘルマン 2018)。

 例えば、笛を使って自分の子どもをしつけている人間の親を考えてみよう。私たちは、この親のしつけ方が間違っていると思うのではないだろうか。もちろん、何か特別な理由があり、その笛を使わざるを得ないのかもしれない。しかしそのような状況ではないならば、人間の親が人間の子どもをしつける際に笛を用いることは間違っているだろう。ではなぜ間違っているのか。それは、人間の親が人間の子どもをしつける際には、もっと子どもに接する形で、子どもの尊厳に配慮した形でしつけることが望ましいからである。しかし笛を使ったしつけは、特別な理由がない限りは、尊厳に配慮したしつけにはならない。もしそうであれば、なぜ犬に対して犬笛を使うことが同様に間違っているとはならないのか。人間の場合にそうであるように、犬のしつけにおいても、犬の尊厳に配慮した形でしつけるべきである。しかし犬笛を使うことは、犬の尊厳に配慮していないことを意味する(ヘルマンの表現を使えば「貶価する demean」)。それゆえに間違っているのである。

 もし犬と子どもは違うのだという議論をするのであれば、それは種差別のおそれがある。犬を尊厳をもった者として扱わないのは、平等の原則に反し、それゆえに悪質な差別である。

 以上のように「犬笛」の元の意味は、暴力的で差別的である。私はこのような語を、たとえ政治家の活動への批判のためであっても使うべきではないと考える。なぜなら、「犬笛」が政治的な批判に無邪気に用いられることで、「犬笛」が本来もつ暴力的で差別的な意味が忘れ去られ、認識されなくなるおそれがあるからである。犬笛がそうした道具であることを認識せずに「犬笛」という語を使っているなら、なおのことやめるべきである。

 では、代替表現は何だろうか。「犬笛」とほぼ同じように使われる言葉として「コード・ワード code word」がある。コード・ワードは隠語という意味で、これであれば「一部の人にしか通じない」という意味を保持できる。

 ただし、これは完璧な言い換えではない。コード・ワードはあくまでも「ワード」、つまり言葉に関するものであり、他のさまざまな表現への適用には言語的違和感がある。だが、言い換えに完璧などありえない。我々はひとまず、「コード・ワード」で言い換え可能なところに関しては「犬笛」を使わないようにすべきである。そして言い換えに違和感がある際には、各自が表現に工夫をすべきだろう。その工夫の労力を惜しんで「犬笛」を使うことは、避けるべきである。

 

参考文献

デボラ・ヘルマン, (2018)『差別はいつ悪質になるのか』[池田喬、堀田 義太郎訳], 法政大学出版局

犬笛に関する議論は、冒頭の動画の著書も参考になるだろう。