自分があとで見てもわかるように、そして他の人にとって議論の整理になるようにまとめていますが、もし転載等をやめてほしいというお願いがあったらコメントやツイッターなどで連絡をください。削除します。
追記(2023年4月8日)
久々に確認したら谷村先生自身が自身の補足ノートおよびそれへのリプライ等をまとめているので、以下のリンクを参照されたい。
http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/philosophy-related-works.html
その上で、本記事は当時のツイッター上でのコメント一覧として読んでいただければ幸いである。
経緯
事の発端はあるシンポジウムの開催である。まるごと引用する。
哲学と物理学はいくつのかの共通する主題をもっている。しかし、とくに国内においてはこれら二つの分野の交流はきわめて少ないのが現状である。だが、異なる方法論をもつ異なる分野の研究者たちが双方にとって重要な同じ主題について議論をすることは有益であるに違いない。このような動機から、編者は九州大学QRプログラム「現代物理学における時間論の哲学的解釈」 (研究代 表者:森田邦久)の支援のもと2016年12月17日・18日に立正大学にて「『現在』という謎一時間の空間化とその批判へ」というシンポジウムを開催し、物理学と哲学双方の研究者たちに講演をしていただいた。このシンポジウムは幸いなことに好評を博したので、このシンポジウムおよび上記プログラムの支援のもとで開催されたほかの講演会を中心に論文集を編むことにしたのが、本書誕生の経緯である。 (森田ら 2019; p.i)
そしてその「本書」というのが以下である。
「はじめに」と「あとがき」は次で読める。
要するに、<現在>ということを巡って、哲学者と物理学者が論文をやり取りして議論しているのが本書である。この本には様々な議論が載っているが、こと今回において重要なのは次の3つの章である。
第1章 物理学における時間――力学・熱力学・相対論・量子論の時間[谷村省吾]
コメント:物理学における時間と時間の形而上学[佐金武]
リプライ:物理学の概念を形而上学で塗り重ねてもすれ違いになるだけではないのか[谷村省吾]
第4章 客観的現在と心身相関の同時性[青山拓央]
コメント:哲学者に考えてもらいたいこと[谷村省吾]
リプライ:まず問いの共有を[青山拓央]
第5章 時間に「始まり」はあるか――哲学的探究[森田邦久]
コメント:物理学者が哲学者の時間論を読むとこうなる[谷村省吾]
リプライ:哲学者も物理学を無視しない――形而上学と物理学の関係性[森田邦久]
登場人物は、谷村省吾、佐金武、青山拓央、森田邦久、の四人である。最初の1人が(理論)物理学者で、他の三人は(分析系の)哲学者である(佐金先生は時間論、青山先生は時間論と心の哲学、森田先生は科学哲学(特に物理学の哲学)を特に専門にしているようである)。ここまでが本が出版されるまでの話である。
ここからが本題である。谷村先生が、本書での哲学者からのリプライ(と自身の見解)を述べるために補足ノート(以下、谷村ノート)を公開した。これが大きな反響を読んだ。
【公開】『〈現在〉という謎―時間の空間化批判』への補足ノート増補版、『一物理学者が観た哲学』を公開しました:https://t.co/NRjIjMtMTv
— TANIMURA Shogo (@tani6s) 2019年11月6日
目次を見ればわかるが、前半がリプライへの再リプライ、後半が哲学批判になっている。ここで谷村ノートの内容を要約することはしない。
以下では、このノートをめぐるさまざまなツイート、ブログなどを整理する。「哲学サイド」「物理学サイド」という分け方をしているが、対立を意図しているものではない。またここでの「サイド」はそちらの味方というより、その観点から見たコメントっぽい、という意味である。
(思った以上に物理学サイドのコメントが見つからなかったので、物理学サイドに限らず、今回の件について知っている情報があったら教えて下さい。)
追記:森田先生からのリプライ(森田ノート)
http://kisoron.hus.osaka-u.ac.jp/events/reply.pdf
編著者の森田先生から、谷村ノートへのリプライが公表された。谷村ノート内での、自身の論文への批判である三章と、哲学批判になっている四章に対してリプライしている(それぞれ森田ノートの「1. 時間の経過(谷村ノート 3 章 3.8 以降)」と「2. 形而上学と科学(谷村ノート 4 章)」に該当する)。
全部で36ページもあるので、忙しい人は「3. おわりに」を読むといいと思う。より詳しく読みたい人は全文読むといいだろう。
追記:忙しい人のための谷村ノート関連まとめ
今回の谷村ノートの要点は哲学方法論批判である。したがって気になる人はひとまず、谷村ノートの第四章(特に谷村先生が指示しているところ)を読むべきである。
その上で次にこれを読むと良い。谷村先生の哲学方法論批判に適切に回答しているように思う。(削除されてました)
他の、青山先生や森田先生との議論は哲学方法論についてではないため、あくまで副次的なものである(と思う)。
それでも気になるという方に向けて。青山先生との議論は心の哲学についての議論で、これについてはこのコメントが正しいと私は思う。
谷村先生のノート,総じてかなり緻密に議論が展開されていて,鋭い哲学的センスを感じるし,哲学の研究手法の問題点を正確に言い当てていると思うけど,意識やクオリアについて論じた箇所(第二章の青山先生とのやりとり)だけは素人的に見える.
— 阿蘇の史(さかん) (@asonosakan) 2019年11月8日
森田先生の方については、元論文が難解であり、あまり触れている人がいない。唯一、ちゃんと答えようとしている方がメビウスさんだが、興味のある人だけが読めばいいと私は思う。(メビウスさんのpdfの最初の部分は、分析形而上学への簡潔で適切な入門になっていると思う、素晴らしいの一言に尽きる)
論文「時間の哲学の未解決問題」を公開しました。Google Booksに置いてますが無料です。PCだと「電子書籍を購入」にカーソルを合わせ、表示されたポップアップ内の「pdf」からpdfがDLできます。または書籍のプレビューで全部読めます。https://t.co/CbTTS4Q3v7
— メビウス (@mobius774) 2019年12月5日
哲学サイド
著者の1人の青山先生からのコメント。
連投① 遅ればせながら、谷村先生のノートの第二章と第四章を読みました。先週まで、『心にとって時間とは何か』(12/11刊)という新刊の仕上げをしていまして、そちらが済むまで読まずにおりました(ツイッターもあんまり)。今回に限らず、大事な仕事に集中する際は、よくこのようなことをします。
— 青山拓央 / Takuo Aoyama (@aoymtko) 2019年11月22日
それに対する物理学サイドからのコメント
(1/8)
— Hideaki Kobayashi (@GrowHair) 2019年11月24日
「谷村ノート」の件、青山拓央氏からツイッターに
コメントが上がったので、感想を述べておきたい。#谷村ノートhttps://t.co/hDOFqlDVgh
少し話題になっている感想note
上記と同じ筆者による、当該書籍のまとめ。
上記のnoteを読んでのいくつかの感想ツイート。
TLに流れてきたので寝るのを中断して谷村ノートを読んだ。以下思うところを述べる。
— 中川優一/Yuichi NAKAGAWA (@Y_J_NAKAGAWA) 2019年11月6日
哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで|R. Maruyama @rmaruy #note https://t.co/kPqVaPCOKB
分析哲学でさえ物理学者との間でこんなすれ違ってるなら、大陸系哲学なんてすれ違いどころか、存在をそもそも認識し合わないのではないだろうか。
— Kamiya Jing (@KamiyaJing) 2019年11月7日
哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで https://t.co/oPjsGL8iVs
文学系を専門にしている方の長文note、主に哲学批判。(哲学サイドはこれを読めば十分なのではないかという気にすらなる)(削除されてました)
時間論を専門にしている哲学者の入不二先生のツイート。
ご推察の通り『現実性の問題』の執筆で手いっぱいで、当該文章を読んでいないし、流れてくる話の一部分を見ての推測だけになりますが、(ご要望に応えて?)ひとことだけ。「断絶」は、詰まるところ、メタフィジカルな水準の事実(の端的さ)を受け入れるか否かの違いになるのでは?
— 入不二 基義 (@irifuji) 2019年11月23日
哲学を専攻(?)しているメビウスさんのツイート。
論文「時間の哲学の未解決問題」を公開しました。Google Booksに置いてますが無料です。PCだと「電子書籍を購入」にカーソルを合わせ、表示されたポップアップ内の「pdf」からpdfがDLできます。または書籍のプレビューで全部読めます。https://t.co/CbTTS4Q3v7
— メビウス (@mobius774) 2019年12月5日
それに対する谷村先生のコメント。(議論は12月8日時点で継続中)
メビウスさん @mobius774 にもう少し丁寧にお返事します。
— TANIMURA Shogo (@tani6s) 2019年12月6日
哲学を専門にしている田口先生のコメントツイート。
きわめてまっとうなことをおっしゃっているように見える。彼の言うことにほぼすべて同意できてしまう私は哲学者としては異常なのだろうか。
— shigeru taguchi (@ShigeruTaguchi) 2019年11月20日
少なくとも、「主観的で一人称的」という意識の規定を問題視する点では、私は少数派なのだろうと思う。 https://t.co/J4tuIhsAUt
Aidaさんという方の、哲学批判エッセイ。
谷村省吾さんの『一物理学者が観た哲学』を読んで、素人ながら、哲学好きの人への科学の基礎解説と、哲学批判のエッセイを書いてみました。
— Aida Tukasa (@life_emergence) 2019年11月22日
関心に沿いましたら、お手すきでご笑覧くださいませ。#谷村ノート
哲学家に向けて|Aida @life_emergence #note https://t.co/jEdRfQ7fjB https://t.co/ywMPeTWdsZ
それに対するコメント。
①突然ですが失礼いたします。
— la vie de Phyllostachys bambusoides (@kaneko_fuse) 2019年11月22日
いろいろ突っ込みどころはあるのですが、さしあたり「日本に哲学科が残っている理由」「哲学の範囲…は主観的な領域に限定される」などについてだけ言及させていただきます。
哲学の範囲が主観的な領域のみというのはあまりに乱暴ではありませんか?
じゃくりーぬさんの谷村ノートへの感想記事。
だいきの呟きさんという方の谷村ノートへのコメントツイート。
話題の谷村ノート、読んだので所見を。どちらかと言えば哲学者側に落ち度がある。 https://t.co/3E16t7Fs0J
— だいきの呟き (@daIKI_K10) 2019年11月11日
それに対する谷村先生のコメント。(連ツイの最後に、だいきさんからリプライあり)
一方で、哲学サイドを応援したいらしき方も脇が甘すぎるように見えることがあります。
— TANIMURA Shogo (@tani6s) 2019年11月15日
以下、いくつかの感想ツイート。
谷村ノートの作者、流石にいつまでもグチグチグチグチしつこ過ぎて厳しい(つか、最近ただの人格否定混ざってきてる気がするし)
— あみき (@OnicPac) 2019年12月6日
青山氏のスタイルは正直なところ私にも合わなかったが、それでも私の所属学部で専攻を教える数少ない1人がこうも異様に叩かれるのは、「感情論として」見てていたたまれない
今更谷村ノート読んでた,彼の哲学(特に分析哲学)に対する違和感は正当なもので、分析哲学に通底している精神病的性格は、①諸物-現実認知と、記述-言語が完全に分離し、世界が<記述-言語>の位相のみで了解-処理される(つまり彼らにとって物が存在するとはそれがかくかくしかじかのものであると記述
— もこ (@moko0908) 2019年11月22日
「現在という謎」をめぐる物理学者の谷村先生による哲学者への反論、自分がもやもやと考えていたことの一部が言語化されたようで目が覚めるように読み進めてしまった
— アークライト (@arcnight101) 2019年11月8日
哲学という分野が自然科学の発展を取り入れずに素朴な身体感覚と直観だけを武器に言語ゲームをしている、という話については耳が痛い
『〈現在〉という謎』と『一物理学者から観た哲学』を読んだ。
— ハルサワ (@acm_798) 2019年11月12日
議論を始めるにあたって、そもそもの大前提と言葉の定義をお互いの了解のもとで明らかにいないんだから、こうやって話が平行線になるのは当たり前。谷村さん側の仰ることもごもっともだし、よく議論して下さったなと思う。
谷村先生の青山先生との議論についてのいくつかのコメント。
谷村先生のノート,総じてかなり緻密に議論が展開されていて,鋭い哲学的センスを感じるし,哲学の研究手法の問題点を正確に言い当てていると思うけど,意識やクオリアについて論じた箇所(第二章の青山先生とのやりとり)だけは素人的に見える.
— 阿蘇の史(さかん) (@asonosakan) 2019年11月8日
というわけで谷村ノートを全部読みました。
— 太陽の逆位置 (@niia172) 2019年11月9日
時間に関しては氏の議論(哲学者の主張は相対論を無視していて非科学的)が正しいように思える。
心の哲学周りに関しては慎重に議論した方が良さそう。心身二元論は必ずしも物理学が間違っていることにはならないと思う。
物理学者の谷村先生が哲学者たちと議論して覚えた疑問を語った「一物理学者が観た哲学」、長大な文章なので青山先生を批判した個所だけちらっと見たが、この件についてはおなじ哲学者でもデネット先生なら谷村先生のほうに味方するのではという気がした。
— ロードランナー様(山川賢一) (@shinkai35) 2019年11月7日
草原さんという方の、哲学的ゾンビ解説記事。
物理学サイド
谷村先生のいくつかのコメント。(他にもコメント多数)(3つ目のツイート周辺は読んでおくのがいいと思う)
私自身があの本を振り返って思うこと:
— TANIMURA Shogo (@tani6s) 2019年11月26日
青山拓央氏の文章は、学術論文だと思って読むから「科学的にナンセンス」と評価してしまうのであって、ポエムだと思って読めば目くじら立てる必要はないと思うようになりました。
— TANIMURA Shogo (@tani6s) 2019年12月2日
いろいろな方を巻き込んでいて申し訳ないです。ちょっとまとめて人を選んで返答させていただきます。@OnicPac @shirouzu @hottaqu
— TANIMURA Shogo (@tani6s) 2019年12月13日
理論物理学者の堀田先生のコメント。
個別の研究者というより、日本の科学哲学分野については、その学会が機能していないのではないかという疑念を持ってる。物理屋相手に議論をする前に、三人の科学哲学者の間で忖度なくきちんと喧々諤々と論じ合って、三人各々の言っていることを三人全員が正確に理解し合えるのかを、疑問視している。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2019年11月12日
世間の皆さまに、基礎物理学の面白さや人類全体にとってのその重要性を知って頂くために、アウトリーチの一環として、いろいろここでつぶいているのですが、それで本屋で、科学哲学の分野での時間とか量子とかのトンデモ哲学者の本に手を延ばされると、「そうじゃないです=!」と叫びたくなる。
— Masahiro Hotta (@hottaqu) 2019年11月27日
同じく理論物理学者の高三先生のコメント。
最近出た「現在という謎」という書籍や、谷村さんのPDFをきっかけにスタートした科学哲学vs物理学者論争の(再)炎上。このへんの現象、ずっと“悲しいなぁ”以上の感想が無い。もちろん、批判される哲学者の態度や言明はあると思うけど、① その様子を見て、何も知らん物理学者が(続)
— Kazuaki Takasan / 高三 和晃 (@takasan_san_san) 2019年11月11日
青山先生との議論に関連して、意識のハードプロブレムについての小林さんと谷山先生のコメント。
谷村省吾氏 (名古屋大学 教授)『一物理学者が観た哲学』(通称「谷村ノート」) について、ご本人に質問を送ったところ、ご回答いただけました。
— Hideaki Kobayashi (@GrowHair) 2019年11月18日
書籍やノートの主題から外れるのですが、「意識のハード・プロブレム」を話題にしています。
(公開承諾済み)https://t.co/zP0TwtBNgr#谷村ノート
その続き。現在進行系で議論も行われているよう。議論の中身は意識のハードプロブレムに限られない。
「谷村ノート」に立ち現れる、哲学者と物理学者との分かり合えなさを考える。その続編。https://t.co/QRYexTNQkU
— Hideaki Kobayashi (@GrowHair) 2019年12月6日
字数制限の緩い場でディスカッションしたい方は facebook へどうぞ。https://t.co/YZoe6Jpw47#谷村ノート#セーラーノート
他、関連するブログ記事。
個人的な参考文献まとめ(哲学のみ)
私は物理学(特に相対論と量子論)には詳しくないので、ここでは独学している哲学の方で、今回の件について参考になるであろう本を紹介する。
時間論や分析哲学について参考になるであろう文献
まずは元書籍(『<現在>という謎』)の共著者の文献をあげる。
まずは佐金先生による現在主義擁護の本。見どころとして、相対論と現在主義が矛盾しないことも頑張って論じている(議論の是非を、私には判断できる力量がない)。
青山先生による分析哲学への入門書。時間論にも若干触れられている。
分析哲学への入門書は他にもいろいろあるが、今回の件に関わっている分野は心の哲学と時間論(と存在論)である。時間論にはあまり詳しくないので、他2つの分野の参考文献を載せる。
心の哲学
金杉先生によるわかりやすい心の哲学への入門書。
物理主義に立って、心的因果(心的現象が物的世界について因果的に影響すること)について論じているキムの本。
「コウモリであるとはどのようなことか」という(哲学界隈では)超有名論文が載っている本。
論文の解説はここが参考になる。
その他、心の哲学関連のブックガイド。
存在論
存在論については倉田先生の本が参考になる。
(分析)哲学一般、方法論
次に(分析)哲学一般への入門や、その方法論について議論されている文献を紹介する。
(分析)哲学一般
(分析)形而上学がどのような議論をしているのかは、次の2つが参考になる。
哲学方法論
哲学方法論をメインにして論じている本は少ない。基本的には、上記までに載せてきた文献からその方法論を感じ取ってもらうしかない。だがそれでも、哲学者がどのような思考をすべきかということについて副次的にも述べている本を紹介する。
科学哲学を専門にしている伊勢田先生による哲学入門的な本。
言語哲学を専門にしている飯田先生による、分析哲学方法論を述べた論文。ネットで読める。
「分析哲学としての哲学」
http://dep.chs.nihon-u.ac.jp/philosophy/faculty/iida/doc/BunsekiTetsugaku.pdf
近年哲学界隈の中で影響力を増しつつある、科学との連続性を重視した「自然主義」という立場についてのいくつかの本。
まずは植原先生の入門書が良いだろう。
そのまとめ、感想ブログ記事。
「自然主義」を全面に押し出している哲学入門書としては他に、戸田山先生の本が良い。
「自然主義」については私も記事にしてまとめてあるので、参考にしていただきたい。
科学哲学
最後に、おそらく若干の関連がある科学哲学の文献を紹介する。
元書籍の編者でもある森田先生によるわかりやすい科学哲学入門書。
科学的対象(素粒子や法則など)が実在するのかしないのか、という科学的実在論についての議論を紹介している文献。(実在するとかしないとかバカバカしいと思った方には、たぶんしっくりこないかもしれない)