書誌情報
Akhlaghi, F. (2022). Transformative experience and the right to revelatory autonomy. Analysis.
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1. Introduction
- 他者が変容的経験*1を受けることを選択するのを妨げようと干渉することは許容可能か、という倫理的問題。
- 干渉することは、啓示的自律性(revelatory autonomy)と呼ぶべき道徳的権利を人間が有しているので、条件つきでダメだと主張する
2. The Question
- 変容的経験の選択は、一人称的な合理的選択と行為者性について難しい問題になる
- では、変容的選択に直面してるのが友人や兄弟、恋愛のパートナーだとしたらどうか。
- 例
- 本稿で取り組む問題は
(The Question) Under what conditions, if any, is it morally permissible to interfere to try to prevent another from making a transformative choice?
他者が変容的選択をするのを妨げようとする干渉は、あるとすれば、どのような条件下で道徳的に許容可能か?
- 3つの応答を検討し、どれも失敗すると主張する。
- そして筆者の、変容的選択に対する独特な権利があるというのを主張する
- 本稿で「干渉」は、coerce, manipulate, rationally persuade or forceを全部含む。
3. The right to revelatory autonomy
- 変容的経験には肯定的変容と否定的変容がある。
- 肯定的認識的変容は知識や理解を増大させ、否定的認識的変容は減少させる
- 肯定的個人的変容は道徳的または賢慮的により善い人になるよう変える。否定的個人的変容は逆。
- [最初の見解]認識的または個人的に否定的変容をもたらす場合に干渉は許容可能
- だがこれは、パラダイムケースの変容的経験は起こった後でないと肯定的か否定的かわからないという問題を見逃してる
- 第三者は変容的選択をする人と少し違う認識的立場に立ちうる
- [Familyケースで]もしチャーリーが赤ん坊を抱いた経験があるなら、アダムよりも赤ん坊を抱くことが一般にどのようなものかを知ることができる立場にあるかもしれない。
- しかし、チャーリーが自分の子どもを抱くことがどのようなことなのかということと、アダムがそうすることがどのようなことなのかということが同じだと考える理由はない。同じように変容するわけではない。その理由は、その経験にいたるまでに様々な違いがあるから
- だからといって、無条件に干渉は許容不可能だということにはならない。連続殺人みたいな変容的経験を望んでる人に対してその選択を妨害するのは明らかに許容可能。
- [Familyケースで]もしチャーリーが赤ん坊を抱いた経験があるなら、アダムよりも赤ん坊を抱くことが一般にどのようなものかを知ることができる立場にあるかもしれない。
- 第二の見解:その人の最善の利益になる場合にのみ、変容的選択に干渉するのは許容可能
- 第三の見解:変容的選択への干渉の許容可能性は、標準的意思決定手続きによって、つまり、不確実な条件下で何をすべきかを期待効用を計算することによって決まる
- 両者の問題点
- 未来の自分の利益がなんであるか、自分の現在の利益が満たされるかは、変容的選択の後でしかわからない
- たとえわかっているとしても、干渉の許容可能性にとって、誰の利益が道徳的に問題だろうか。現在なのか未来なのか。一方を特権化するのは恣意的だろう。
- 以上の問題は深刻。
- 干渉の許容性を、選択時点では持ち得ない、知識または信念の理由に依存させることで、[まさに選択時点では持ち得ないために]干渉が許容されると知ることも信じる良い理由を持つこともできないことを含意してる。だがそれはありえない[上の殺人ケースを参照]
- 許容可能な行為の最小条件を、許容可能にする条件が満たされてると信じる良い理由があることにしてるために、許容可能な介入がありえないことになってるが、これもありえない
- これらは、変容的経験に関する、選択前後での認識的障害のために問題がある
- そこでThe Questionに答える妥当性の条件
- 干渉の許容可能性は、レレヴァントな経験の価値を知ることに依存すると考えるべきではない
- 現在・未来の人間の間で、誰かに対する何らかのレレヴァントな道徳的義務があるのかをオープンクエスチョンにしておくのは避けるべき
- 未来の人の知り得ない利害や、未来の人についてのその選択の帰結を知ることに依存すべきではない
- よって筆者の回答は
(Revelatory Autonomy) The moral right to autonomously decide to discover how one’s life will go and who one will become by making a transformative choice.
啓示的自律性:変容的選択をすることによって、自分の人生がどのようになるか、自分はどのような人間になるのかを明らかにすることを、自律的に決定する道徳的権利
- これは単なる自律への権利ではない。
- 単なる自律への権利の場合、例えば、他者は現在の本人や将来の自分の自律性を尊重するように行動すべきかどうかわからない(相反する可能性がある)という問題が生じる。
- しかし自由な選択をすることは道徳的に重要なのか?
- おそらく、一般的に自由な選択をすることが許容されてることに具体的な道徳的価値はない。
- ではなぜ上記の権利があるのか
- それは、自律的自己形成(autonomous self-making)の道徳的価値があるから。
- 選択をすることではなく、自分の核となる選好や価値観がどんな風になるのかを学ぶための自律的選択に価値がある
- 自分がどんな風になるのかを学ぶために学ぶことを自分で決めることは、自己真正性(self-authorship)を与える
- この権利は次の対応する義務を生じさせる
(Revelatory Non-Interference) The moral duty not to interfere in the autonomous self-making of others, through their choosing to undergo transformative experiences to discover who they will become.
啓示的非干渉:自分がどうなるかを明らかにする変容的経験を経験することを選ぶことを通じて他者の自律的自己形成をすることに対し、干渉しない道徳的義務
- よって、啓示的自律性への権利に勝る場合にのみ、他者の変容的選択に干渉することが許容可能
- この条件つきの回答は、上の妥当性条件を満たしてる。
- また、啓示的自律の権利は自律的自己形成の価値に基づいてるので、他のものより道徳的価値が高い。
- そのため、例えば、大学に行くことは初めてチーズバーガーを食べることよりも選好やアイデンティティ、価値観に影響を与える可能性が高いので、干渉の道徳的理由の強さはかなり大きくなければならない
- 筆者の議論への反論:強制や操作ならダメそうだが、合理的説得はどうか。これは理由や証拠を提供し、合理的意思決定を促進することを目的としている。
- しかし、以下のことを区別して考えよう。
- (a)有能な推論者としての能力を尊重するという意味での、自律性の端的な尊重
- (b)啓示的自律性の尊重、つまり、ある時期に、自己形成や変容的選択を通じて自分が誰になるかを学ぶための特定の決定を行う権利の尊重
- 合理的説得は行為者が有能な推論者であることを尊重するもの(a)であるが、それは行為者の自律的自己形成を尊重すること(b)を含意しない。
- (b)を含意しないケースとして、例えば、行為者が認識的自律性を行使できない時期(早期とか)や方法(強引に)で合理的反論を与えることとかがある(Tsai 2014)*2
- また、ここでは変容的選択の文脈で考えてる。
- 行為者の自律性を端的に尊重しつつ(a)、啓示的自律性の権利を侵害する方法として、あたかも自分が認識的に特権的立場にあるかのように、見た目上の理由、議論、証拠を与えようとすることがある。
- だがそれは行使屋の自律的自己形成を軽視(disrespect)してる
- 行為者の自律性を端的に尊重しつつ(a)、啓示的自律性の権利を侵害する方法として、あたかも自分が認識的に特権的立場にあるかのように、見た目上の理由、議論、証拠を与えようとすることがある。
4. Conclusion
[省略]