以下は
- デヴィッド・ドゥグラツィア著、戸田清訳(2003)『動物の権利』, 岩波書店
の「6 ペットと動物園」(pp.119-142)の、動物園についてのまとめです。
引用の下線部は全て著者(ドゥグラツィア)の強調傍点です。
続きを読むタイトルが形容矛盾ではないかと思う人がいるかも知れない。おそらく、功利主義とは「最大多数の最大幸福になるような行為や規則が道徳的に正しい」というマジョリティのための考えのように思われているからだろう。現代のマイノリティは最大多数の最大幸福のために切り捨てられた人々である、ということがよく言われる。私はこれは誤りであると考える*1。功利主義はマジョリティのための道徳ではなく、マイノリティを含めた全ての有感存在のための道徳であるということを述べたい、これが本記事の目的である。
とはいえ、いきなりその説明に入らず、まず世間一般で理解されているような功利主義理解から改めて説明する。
ここで簡単にマジョリティと多数派の違いについて説明する。ジェンダー学やフェミニズムなどの文脈において、マジョリティは単に多数派を意味する言葉ではない。もちろん多数派という意味で使われることもあるが、基本的には社会的強者、権力関係的に強者であるような人々を指して使われることが多い。例えば、男性と女性の人口はほぼ同数だが、男性はマジョリティで女性はマイノリティである、というように使われる。本記事でもそのような意味で使う。単に多数派を意味するときは、多数派、多数などと明示的にわかるように使う。
続きを読む私はこのブログで、功利主義について入門的な記事を書いた。
本記事(およびこれ以降のシリーズの記事)はこれらの記事の発展的内容を扱う。*1
シリーズの予定は次の通りである。本記事はこの内一番上の記事である。
ただし、これらの記事の数、内容、順番、は今後変わる可能性が高い。
功利主義(utilitarianism)は三つの特徴を持つとされている。そのうちの一つが帰結主義(Consequentialism)である*3。帰結主義とは、結果のみを考慮する立場である。よく勘違いされるのだが、帰結主義=功利主義ではない。帰結主義には功利主義以外にも様々な立場があり、その中で功利主義が最も有名であるにすぎない。
帰結主義と聞いたとき、私たちはこれに対してどういうイメージを持つだろうか。結果のみを考慮する、と聞くと「結果さえよければなんでもいい」と私たちは考えがちである。しかしこれはほとんど誤りである。この誤解を解くこと、そして結果のみを考慮するといっても様々な立場があることを説明し、検討するのが本記事の目的である。1節で帰結主義内部の大きな2つの立場を分類し、それぞれ検討する。2節で時間軸上でいつが帰結になるのかについて説明する。3節では2節での説明を踏まえ、1節での帰結主義内部の立場をそれぞれ再考する。4節でまとめる。
*1:以前は以下のように書いていたが、冗長妥当と判断し削除した。
私は、功利主義について説明するのはこれで十分で、あとは最後に書かれている参考文献などを読んでいただければいいと考えていた。功利主義について興味がある人、誤解している人、よく知らない人などには、私の記事を紹介することで事が済むとも考えていた。
しかし、記事を書いてから半年以上経過し、これでは不十分だったと考えるに至った。私はTwitterでよく議論をするのだが、そのときに功利主義を持ち出すと、やれ「功利計算できない」だの「功利主義は検討するに値しない」だの「(功利主義者の)シンガーはナチス」だのと言われるし、Twitterで「功利主義」というワードで検索すれば、その誤解の多さといったらない。そしてそれらの一部は私のブログの記事でカバーできないことに気づいた。
「シリーズ:功利主義を掘り下げる」は、こうした私の経験に基づいて、功利主義についてより深く掘り下げ、功利主義に対する無理解・誤解を晴らすこと、またそれを通して私自身が功利主義についてより理解を深める事を目的としている。
*2:追記2020-06-12:いろいろと勉強を進めていく中で、本記事をもっとわかりやすい構成にできるような気がしているので、いずれ別の記事として「帰結」についての記事を書くかもしれない。構成としては次のようなものを想定している。本記事では客観主義と期待値主義とし、さらに期待値主義を客観的期待値主義、事実主義と分ける構成になっているが、ちゃんと主観主義、客観主義、予期主義prospectivismをそれぞれ区別し、それぞれを定式化し、それぞれの利点・欠点を述べ、検討するのがいいだろうと考える。
*3:ほかは、厚生主義(Welfarism)、総和主義
本記事の目的は、倫理的な理由に基づくヴィーガニズムへの誤解や批判に対して答えることである。
まず1節でヴィーガニズム、より正確には動物倫理における反種差別の議論をみていく。2節で、1節で検討したことからの帰結としてのヴィーガニズムを検討する。3節でヴィーガニズムに対するよくある批判を検討する。4節でまとめる。
*1:(2022/12/14追記)以前は以下のような文章から初めたが、もはや必要ないと思われるので省略した。
ここ最近ツイッターやネット記事で「動物はご飯じゃない」デモとそれへのカウンターである「動物はおかずだ」デモに関して様々な意見・主張が見受けられる。少なくともいくつかは的を射た批判もあるが、その他の多くの批判は、互いに対する無理解が中心的であるように思う。私はデモとカウンターデモに関してよく理解できていないので、これら一般に関して意見することは控える。
本記事は
Kagan, S. (2016). What’s Wrong with Speciesism? (Society of Applied Philosophy Annual Lecture 2015). Journal of Applied Philosophy, 33(1), 1–21. https://doi.org/10.1111/japp.12164
Singer, P. (2016). Why Speciesism is Wrong: A Response to Kagan. Journal of Applied Philosophy, 33(1), 31–35. https://doi.org/10.1111/japp.12165
の二つの論文の要約と、それに対しての私の簡単なコメントを述べる記事である。(著作権周辺がよくわからないので、まずいようでしたら教えてください。)
記事中で引用する際は原文と私の訳を載せるが、誤訳の可能性があるので、心配な場合は原文を読んでほしい。
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