ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

2021年に読んだ本

  • 全体を通して
  • 読んでよかった本(特によかったのは太字)
  • 1月
  • 2月
  • 3月
  • 4月
  • 5月
  • 6月
  • 7月
  • 8月
  • 9月
  • 10月
  • 11月
  • 12月

 

去年の記事

mtboru.hatenablog.com

 

2021年の読書メーター
読んだ本の数:136
読んだページ数:43140(118/day)

f:id:mtboru:20220101010617p:plain

月ごとの読書量の変化

全体を通して

今年も月ごとに忙しさが異なり、特に10月以降は論文を読むのと並行だったので、本の読書量としては少なくなってしまった。それでも、ちゃんと2020年より多く読めたのはよかった。読んだ論文の量も確実に多くなった。2021年はオンライン読書会にも多数参加して、洋書の論文集を読んだりもしていたので、実質的な読書量はかなり多くなったと思う。

今年もテーマを決めて集中して読んでいた時期があり、特に、情動、統計あたりを中心に集中的に勉強した。情動に関しては哲学より感情科学の方を中心に勉強して、それなりに知識がたまったと思う。情動や統計の勉強を通じて、科学の再現性の問題にも触れることになり、自身の研究実践を見直すことにもなった。

また2021年は、その分野の基本図書や必読書を読むようにも心掛けた。例えば、認知心理学でのカーネマン『ファスト&スロー』、徳倫理学でのハーストハウス『徳倫理学について』、分析哲学でのクリプキ『名指しと必然性』、動物倫理でのRegan『The Case for Animal Rights』などである。特にReganのこの本を読み終えられたのは自分の中で大きい。これで動物倫理モグリを卒業できた。

ネガティブな反省点としては、自分の今後を考えたときにあまりに横路になってしまう本を時間かけて読んでしまったことである。例えば、ワクチンがよくわからなかったので免疫とワクチンについて新書・入門書レベルでいくつか読んで学んだ。たしかに知識になったし、ワクチンを無意味に恐れずに済むようになったとはいえ、自分の業績に全く結びつかないような本だったので、時間がない中でわざわざやることではなかったかなと思う。費やす時間をもう少し短くすべきだった。

 

読んでよかった本(特によかったのは太字)

こうしてみると、前年より当たりの本を読めた。前年は20冊/90冊(=0.22)、今回は45冊/136冊(=0.33)。時間がないので、半分以上を読んでよかった本にしていきたい。

続きを読む

種差別的言語をやめよう

  • 0 はじめに
  • 1 種差別的言語の具体例
    • 「動物」
    • 「何か」「それ」
    • 「屠殺(とさつ)する」
    • 「犠牲者や負傷者はいませんでした」
  • 2 英語の非種差別的言語
  • 3 日本語の非種差別的言語
    • 言い換え
    • 避けるべき表現
  • 参考文献

 

0 はじめに

タイトルの「種差別的言語 speciesist language」とは、非ヒト動物をヒトの下位におき、彼女ら/彼ら/かれらをモノとして扱ったり侮蔑したりする言語のことである。*1

 種差別的言語を説明する前に、まず性差別的言語 sexist language について説明する。 Cambridge Dictionary の sexist language によれば

性差別的言語とは、一方の性を排除したり、一方の性を他方の性より優れていることを示唆するような言語である。例えば、伝統的には、「彼は」「彼を」「彼の」は、両方の性、つまり男性と女性を指す言葉として使われていた。しかし最近では、これらの言葉は「彼女は」「彼女を」「彼女の」は重要ではないか劣っているようにさせると、多くの人が感じている。人々を不快にさせないためにも、性差別的言語を避ける方がよいだろう。

Sexist language is language which excludes one sex or the other, or which suggests that one sex is superior to the other. For example, traditionally, he, him and his were used to refer to both sexes, male and female, but nowadays many people feel that this makes she, her and hers seem less important or inferior. It is best to avoid sexist language in order not to offend people.

 例えば次の例では、「先生 "the teacher"」は性別が不明であるため、自然には「彼は"He"」を埋めようとするだろう。

先生とは、授業をまとめる人のことです。彼は時間を測ったり、イベントの時系列を管理する人です。*2

The teacher is the person who organises the class. He is the one who controls timekeeping and the sequence of events. 

 しかしこれは性差別的言語である。したがって次のように書き換えるべきである。

先生とは、授業をまとめる人のことです。彼女/彼は時間を測ったり、イベントの時系列を管理する人です。

The teacher is the person who organises the class. (S)he is the one who controls timekeeping and the sequence of events.  

 こうしたことは他にも存在する。例えば英語の "they" に対応する日本語の「彼女ら/彼ら/かれら」は、集団の性別が不明か男性に偏っている場合「彼らは」のみで表現されるだろう。しかし「彼らは」という表現は、その集団内の女性を見えなくする恐れがある。

 これは行き過ぎたポリティカル・コレクトネスだろうか。部分的にはそういえるかもしれない。しかし、「彼」"he", "him", "his"のみを用いた場合と、「彼女/彼」"she/he", "her/him", "hers/his" のようにどちらの代名詞も用いた場合とで、私たちの認識が変わることが様々な形で報告されている(その概説は Menegatti, M., & Rubini, M. (2017). Gender Bias and Sexism in Language. で読むことができる)。

 以上のことを考えれば、私たちは性差別的言語の使用を避けるべきである。そしてそうであるなら、私たちは性別のみならず、「動物」に関する差別的言語、つまり種差別的言語も避けるべきであるように思われる。

 以下ではまず、種差別的言語の具体例を紹介する。次に英語における非種差別的言語を紹介する。最後に、英語の非種差別的言語を日本語に適用し、日本語における非種差別的言語を提示する。

*1:「種差別」については以下の記事を参照してほしい。

mtboru.hatenablog.com

*2:日本語だと主語を省略できるため、「彼は」を使わずに表現することも可能だろう。

続きを読む

非ヒト動物に対するパターナリズムと安楽死(Regan 2004(1983))

Regan, T. (2004). The case for animal rights. Univ of California Press.
Chapter 3から一部要約

3.6 パターナリズムと動物

  • 〔これまでの章で述べたように〕私たちが利害関心を持っていることが必ずしも私たちの利益になるとは限らないし、また、何が私たちの利益になるかの最善の判断をするのは私たち自身であるとは限らない
    • この点は、有能な成人の場合に、干渉的なパターナリズムを正当化するものではない
      • 個人的自律性を持つことはそれ自体が利益(benefit)になる
    • では動物に対するパターナリズムはどうか?
      • 動物に好き勝手させることを許すことが、必ずしも動物のためにならないことは明らか
  • バーナード・ガートとチャールズ・M・カルバー(Bernard Gert and Charles M. Culver)は、人間が動物に対して文字通りにパターナリスティックに行為できることを否定している
    • カルバーとガートは、動物と乳児に対するそれは、パターナリスティックな行為の必要条件を満たしていないと主張している。彼らの考えでは、ある個人(S)に対してパターナリスティックに行為できるのは、Sが「自分の利益になることは大体わかっている」と、おそらく誤って信じていると信じる理由がある場合のみである。
      • カルバーとガートによれば、人間の乳幼児と同様に、動物もこの条件(信念要件)を満たすことができず、したがって私たちは動物に対してパターナリスティックに行為することができない
      • 他にも政治哲学者のアン・パルメリ(Ann Palmeri)も同様のことを述べ、動物や植物に対してパターナリスティックに行為できないと述べている
  • しかし、かれらは、乳幼児、動物、植物という非常に異なるクラスの存在を一緒にしてしまっている
    • 植物に対して文字通りパターナリスティックに行為できないが、動物に対して文字通りパターナリスティックに行為できる
  • パターナリスティックな行為という概念の中心は、ある種の動機の存在
    • パターナリスティックに行為するためには、自分(または他人)が利益を得るためではなく、Sの利益や福祉のために行為するという動機が必要(これは正当化とは別の話)
  • カルバーとガートによれば、信念要件も必要条件:何が自分の利益になるかを一般的に知っていると信じていなければならない
  • しかし〔Chapter 2で述べたように〕動物は、信念と、信念に対する信念も持つので、信念要件を満たす
    • 仮に満たさないように条件を設定すると、幼児なども満たさなくなり、パターナリスティック(父性的)という概念がゆがめられる〔パターナリスティックな行為の典型例は、そうした幼児を含む子どもに対する父性的な行為である〕
  • かれらの代わりとなるパターナリズムの図式を提示する
    • ある個人(A)による行為がパターナリスティックであるのは、Aが他の個人(S)の生に介入し、かつ以下の条件が満たされている場合である。
      • a)Aは、Sが特定の選好を持っていることを知っている。
      • b)Aは、Sが自分(Sの)選好の満足をもたらすと信じる方法で行為する能力を持っていることを知っている。
      • c)Aは、阻止されない限り、Sが自分の選好の満足をもたらすと信じる方法で行為することを知っている。
      • d)Aは、Sがこの方法で行為すると、Sの厚生(welfare)に有害な結果をもたらすことを知っている。
      • e)Aは、そのような介入がS自身の善(good)のためであり、Sの善を気遣ってのことであると信じて、Aに阻止されなければSが選択するであろう行為をSが阻止するために介入する。
  • 動物や幼児は選好をもつが、植物はもちそうにないので、動物や幼児に対するパターナリスティックな行為が可能になる
    • また信念要件を満たす存在に幼児を含めようとすれば、動物も含めることになるだろう

3.7 安楽死と動物

  • 選好の自律性、死、パターナリズムの分析の結果は、動物に適用される安楽死の考え方を示している
    • 現在〔当時〕行われている〔た〕安楽死の件数や目的を考えると、動物が「安楽死」されたと言われるケースのほとんどは、すべてではないが、正しく考えられた安楽死のケースではない
  • 安楽死は、その個人の「良い死」をもたらすことであり、直接的な殺害(積極的安楽死)または死なせること(消極的安楽死)によってもたらされる
  • 安楽死には、痛みを伴わずに、あるいは苦痛を最小限に抑えてその者を殺す以上のことが必要
    • 積極的に他者を安楽死させるためには、自分の利益のためだと信じて、また相手の利益を気遣って相手を殺すことが必要
    • 動機が自己目的ではなく他者目的であることが必要であり、自分の目的のために行動する相手は、殺される相手でなければならない
  • 積極的安楽死の許容条件
    1. 可能な限り苦痛の少ない方法で個人を殺すこと。
    2. 殺す者が、殺される者の死が後者の利益になると信じていること。
    3. 殺した者が、殺された者の利害、善、厚生に関心を持って、その命を終わらせる動機を持っていること。
    • これらは十分条件ではないが、「動物の安楽死」の多くのケースが真の安楽死に至らない理由を示すには十分
    • ここで、2の条件は弱すぎるので、その信念が真でなければならないと変更する。よって
      • 2. 殺す人は、殺される者の死がその者の利益になると信じていなければならず、それが真でなければならない。
  • 一般的に理解されている自発的安楽死の概念(自分の死を理解し、その生を終わらせたいという欲求を明確にする手段をもっている者に適用可能な概念)は、動物を安楽死させる場合には適用できない
    • したがって、動物を安楽死させる場合には、問題となっている安楽死の種類は非自発的安楽死でなければならないと考えてもいいだろう
  • 非自発的安楽死の典型的なケースは、その対象は心理学的には死んでいる(選好等をもはやもたない)。
    • しかし動物の場合は異なる〔生きており、選好をもつから〕
    • よって、自発的でも非自発的でもない、別の安楽死のカテゴリーが必要。以下に2つ述べる
選好尊重的安楽死
  • 時に動物は、治療不可能で強い苦しみを抱えていることがある
    • このような状況でその動物を殺すことは、明らかにかれらの利益になると思われる
    • このカテゴリーの安楽死を、選好尊重的安楽死(Preference-Respecting Euthanasia)とよぶことにする
    • もちろんかれらは死を欲求してない(死を理解できないから)のだが、このような安楽死は、かれらの選好を尊重することになる
  • これはパターナリスティックではない
    • かれらが自分でできないことをかれらのために行うとはいえ、「かれのために」と自分の意志を押し付けることはしない。
      • むしろ、かれらの選好を満足させるためにしなければならないことをするのだから、私たちは、私たちが知っているかれらの意志に従うのである
パターナリスティックな安楽死
  • しかし上記のケースは、あまりない
    • 最も一般的ケースは、野良犬やペットの「安楽死」(健康であるにもかかわらず!)
  • 選好尊重的安楽死以外のケースで、かれら自身の善(good)のために動物を殺すなら、それはパターナリスティックな行為になる
    • だが一般に、健康な動物は生きていた方が良い理由があるので、その場合は安楽死ですらない〔上記の積極的安楽死の許容条件をみよ〕

子どもとは何か? Schapiro (1999)

Schapiro, T. (1999). What is a Child?. Ethics, 109(4), 715-738.

https://www.journals.uchicago.edu/doi/pdf/10.1086/233943

 

 大人と子どもの違いに関して2つの直観がある。第一に、子どもの意見は、大人の意見と同じような権威や道徳的意味をもっていない。第二に、子どもは、大人と同じようには、自身の行為に責任を持たない。

 この大人と子どもの区別を説明するアプローチは2つある。第一に、生物学的区別によって説明するアプローチであり、これは経験的問題である。しかし、これでは法的・道徳的な意味での身分(status)概念としての「大人」と「子ども」を捉えられない(例:「成人」は何歳からか?)。本論文は後者の意味での「子どもとは何か?」を哲学的に検討する。

 

 子どもと大人の区別を、パターナリズムの正当化の観点から考える。これは帰結主義的な正当化がなされることがあるが、カント倫理学では別の方法で正当化しなければならない。ではカント倫理学でこの問題にどう答えればいいのか。

 カントによれば、子どもは受動的市民である。政治的共同体の構成員であるが、通常の市民権に付随する自由の全範囲を享受する権利(例:投票の権利)を持たない。このような身分が許されるのは、大人は政治的共同体の中で独立して自らの選択によって行為するが、子どもはそうではなく、独立の規範からの逸脱という意味で依存的だからである。

 自分の選択によって行為するには、反省する能力、自分の行為計画を考える能力が必要である。もちろんこれは程度問題であるため、子どもから大人への連続した経路があるという直観が支持される。

 だが、身分概念としての「子ども」は、どこかの段階で「大人」の資格を得る人のことである。これをカントの「子ども時代は苦境(predicament)である」という考えから検討する。

 

 カントにおける自然状態から国家になるまでの発達に関する議論(4節)から類推して、子どもの発達について考えると、未発達の人間とは、自分自身をまとまった形、つまり統合された形にできていない人間のことである。統合には反省が必要であり、未発達な人間は、社会が規範的な不安定さ(自然状態)から脱するのと同じように、反省によって統一されていくことで自分自身になる。

 カントの考えでは、行為するには様々な動機づけの衝動間の対立を解決しなければならない。対立の解決は熟慮の働きによってなされるものであり、これは(対立を調停して行為する)権威をもつことになる。これが自律性であり、義務の源泉である。

 先述したように、カントによれば、子ども時代は苦境である。それは、自身の動機づけの衝動間の対立を解決する能力が未熟だからである。それゆえに、その苦境に対処するために、大人から子どもへのパターナリズムが許されることになる。

 しかし「子ども」から「大人」への移行では、行為と〔単なる一方的な強制による〕プロセスとの間のどちらともつかない揺らぎがある。この揺らぎに焦点を当てる概念が「遊び」である。子どもたちは遊びの中で、なりたい自分を熟慮的に「試着」している。子どもの遊びとは、自分自身になることである。そしてそれは、子どもの遊びにおいて、行為できる人の役を演じることである。これは熟慮的に「試着」する、リハーサルのような状態である。このことは、幼児だけでなく、思春期の「自分探し」にも当てはまる(自分自身を誰かにしようとしている)。

 この発達の度合いは成長によって変化し、発達に応じて、自分が権威を持つ領域が変化する。国家が自身の権利の及ぶ範囲でのみ国権(the rights of nation)を適用できるように、子どもも自分の「裁量の領域」で権威を持つ。

 ここでの大人の義務は、消極的には、子どもが自身の熟慮する能力を高めるのを妨げるような行為を控えなければならず(例:子どもを管理してはならない)、積極的には、子どもの苦境(自己を統合できないこと)を取り除き、子どもが子ども時代から抜け出し、独立する手助けをしなければならない(例:教育)。

 そのためにも、大人自身が自律性のモデルとなり、子どもたちが優れたモデルを「選択」できるようにすることが必要である。また、子どもが自分でルールを決められる場合には積極的にそれを認めるべきである。

語「種差別」を巡って

  • 1 はじめに
  • 2 R・RyderとP・Singerの「種差別」
  • 3 RyderとSinger以後
  • 4 「種差別」をどう定義すべきか?
    • 4.1 記述的定義と評価的定義
    • 4.2 広い定義と狭い定義
    • 4.3 「差別」を含む定義と含まない定義
    • 4.4 「種差別」を定義する
  • 5 まとめ
  • 参考文献

1 はじめに

「種差別 speciesism」という単語が生まれて40年以上が経過した。英語圏ではそれなりの広がりを見せており、哲学や倫理学ではもちろん、社会科学においてもわれわれの種差別的偏見や種差別的バイアスの研究が徐々になされつつある(e.g. Everett 2019)。しかし、以下でみていくように、「種差別」という語や種差別概念が正確に理解されているとはいいがたい(Albersmeier 2021)。そうした中、Hortaの「種差別とは何か?」(Horta 2010)を皮切りに、「種差別」を定義しようという試みがいくつかなされている。本稿では「種差別」の歴史を簡単にみたあと(2、3節)、近年の「種差別」の定義を巡る論争を整理し、望ましい「種差別」の定義を提示する(4節)。

 本稿では種差別という語を表す場合に「種差別」という表記を用いる。また以下では「種差別」の使われ方、定義のされ方を概観していくが、本稿ではHortaとAlbersmeierによる区別を用いる(Horta and Albersmeier 2020)。かれらは「種差別」を2つの軸で分類する。

  • 記述的定義と評価的定義
  • 広い定義と狭い定義

ここで記述的定義では、「種差別」という語を、事実として動物種間での扱いが異なるということにのみ言及しその是非を含意しない語として定義する。一方評価的定義では、その異なる扱いが不当であるということも含意するように定義する。評価的定義であっても記述的な内容を含むため、純粋に評価的であるのはありえない。また広い定義では、種差別の根拠や理由を問わず動物種間で扱いが異なることを意味し、狭い定義では何らかの根拠(例:種が違う、能力に差があるなど)に基づく異なる扱いであることを要求する*1

*1:追記(2021-07-22):狭い定義は、いわゆる直接的差別であり、広い定義は直接的差別と間接的差別のどちらをも含むものとして理解されるかもしれない(Altman 2020)。しかし狭い定義の内実によっては直接的差別ではない可能性もあるため、完全に一致するわけではないだろうと考える。

続きを読む

語「犬笛」の暴力性

 政治に関する話題で、少し前から「犬笛」という単語が使われるようになった。

 「犬笛 dog whistle」には二種類の意味がある。Cambridge Dictionalyによれば

  1. 犬を訓練するために使用される笛で、人間には聞こえない非常に高い音がする
  2. 特定のグループ、特に人種差別やヘイトの感情を持つ人々に理解されることを意図して、しかし実際にはこれらの感情を表現することなく行われる、政治家による発言、スピーチ、広告など

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/dog-whistle

 2の意味は1の意味をもとにして派生した意味である。犬笛の例、そして犬笛の悪さに関しては以下の動画が参考になるだろう。

政治家が使う秘密の「犬笛」 隠れた人種差別メッセージとは - BBCニュース

 

 私がここで問題にしたいのは、犬笛という現象ではない。その現象を指示する単語として「犬笛」を使うことである。

 「犬笛」の第一の意味をもう一度みてほしい。

  1. 犬を訓練するために使用される笛で、人間には聞こえない非常に高い音がする

犬笛は、原義的には、犬の訓練、しつけに使われる笛である。表現の意図するところが伝わってくれることを願うが、犬笛は、犬を飼い主に従属させるための道具である。

 

続きを読む

『差別の倫理学のラウトレッジハンドブック』の「イントロダクション」(Kasper Lippert-Rasmussen)

  • 書誌情報
  • 導入 Introduction
  • 概念的問題 Conceptual issues
  • 差別の不正さ The wrongness of discrimination
  • 被差別者のグループ Groups of discriminatees
  • 差別の現場 Sites of discrimination
  • 差別をなくすことと軽減すること Eliminating and neutralizing discrimination
  • 差別の歴史 History of discrimination
  • 結論 Conclusion

 

本記事は、英米圏の差別の哲学・倫理学に関するハンドブックの導入の要約である。この章はハンドブックの各章の紹介になっており、また差別の哲学の広さが分かるようになっている(種差別に一切触れてないのは驚きであるが)。

日本語で議論を紹介している論文としては、例えば堀田の論文がある。

堀田義太郎. (2014). 差別の規範理論: 差別の悪の根拠に関する検討. 社会と倫理, (29), 93-109.

 

書誌情報

Lippert-Rasmussen, K. (2018) The philosophy of discrimination: an introduction. In The Routledge Handbook of the Ethics of Discrimination, Routledge, 1-16

www.routledge.com

導入 Introduction

  • 差別は重要なテーマである
    • 個人が受ける不利益や無礼な扱いが、差別に起因するものもあれば、差別に相当するものもある
    • (少なくとも)アメリカの公民権運動以来、そうした差別が前面に出てきた
    • 差別を理解することは、社会的不平等や政治・歴史を理解する上で重要
  • 差別の本質を明らかにしようとする学問は様々にある
  • このハンドブックにはこれらすべてが含まれるが、主要なレンズは哲学
    • 因果関係や記述的問題ではなく、概念的、規範的な問題を中心とする
    • しかし哲学と他分野の区別は明確ではない
      • 哲学においても経験的知識を必要とするし、他分野においても概念的・規範的前提を必要とする
  • 最近まで差別の哲学の文献はほとんどなかったが、増えつつある
    • Alexander, L. (1992) “What makes wrongful discrimination wrong?”, University of Pennsylvania Law Review 141: 149–219.
    • Cavanagh, M. (2002) Against Equality of Opportunity (Oxford: Clarendon Press).
    • Edmonds, D. (2006) Caste Wars: A Philosophy of Discrimination (London: Routledge).
    • Eidelson, B. (2015) Discrimination and Disrespect (Oxford: Oxford University Press).
    • Gardner, S. (1996) “Discrimination as Injustice”, Oxford Journal of Legal Studies 16: 353–368.
    • Hellman, D. (2008) When Is Discrimination Wrong? (Harvard University Press).
    • Hellman, D. and Moreau, S. (2013) Philosophical Foundations of Discrimination Law (Oxford: Oxford University Press).
    • Khaitan, T. (2015) A Theory of Discrimination Law (Oxford: Oxford University Press).
    • Lippert-Rasmussen, K. (2013) Born Free and Equal? (Oxford: Oxford University Press).
続きを読む