ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

奇跡論法の数式による定式化

奇跡論法とは「ある科学理論について,現在の科学の成功はその科学理論が経験的に妥当でなければ奇跡になってしまうから,その科学理論は経験的に妥当なはずだろう」という,科学理論の経験的妥当性(ないしは科学理論の指示対象の実在性)を擁護する議論である.以下ではこの議論の数式による定式化を試みる(cf. Sprenger (2016)).

なお,奇跡論法を含めた科学的実在論争については以下の戸田山の本に詳しい.


 

 S:科学(理論)の(予測や説明の)成功

 H:科学理論が経験的に妥当

として,奇跡論法を考える.奇跡論法の中心的前提は以下の前提1である.

前提1:理論が経験的に妥当という元での科学の成功の確率は,理論が妥当でないという元での科学の成功の確率より非常に大きい(理論が妥当でない世界での科学の成功は奇跡だから).数式で表すと

 p(S|H) \gg p(S|\neg H)

となる.ここで p()は確率を表し, p(S|H) Hの元での Sの条件付き確率である.どれくらい大きいかを表す係数 k \gg 1を導入すると,これは

 p(S|H) = k \times p(S|\neg H)

と表せる.ベイズの定理  p(S|H) = \frac{p(H|S)p(S)}{p(H)} より,前提1は

 \frac{p(H|S)p(S)}{p(H)} =k\times \frac{p(\neg H|S)p(S)}{p(\neg H)}

 \frac{p(H|S)}{p(H)} =k\times \frac{p(\neg H|S)}{p(\neg H)}

 p(H|S) =k\times \frac{p(\neg H|S)}{p(\neg H)} p(H)・・・・・・(1)

となる.奇跡論法が成り立つ(科学の成功の元で科学理論の妥当性を言いたい)ためには, p(H|S) >  p(H)であると言いたいから, k\times \frac{p(\neg H|S)}{p(\neg H)}が1より大きくなければならない. k \gg 1だから,これは自明だと思われるかもしれないが,厳密にするために以下の前提2を追加する.

前提2*1:科学が一般に成功する確率は,科学理論が経験的に妥当でない元での科学の成功の確率より大きい(理論が妥当でない世界での科学の成功は奇跡だから,その成功確率は一般的な成功確率より小さいはずである).数式で表すと

 p(S) > p(S|\neg H)

となり,係数 m> 1を導入して

 p(S) = m\times p(S|\neg H)

と表すことができる.ここで式(1)中の  \frac{p(\neg H|S)}{p(\neg H)} について,ベイズの定理より

 p(\neg H|S) = \frac{p(S|\neg H)p(\neg H)}{p(S)}

 \frac{p(\neg H|S)}{p(\neg H)} = \frac{p(S|\neg H)}{p(S)}

である.前提2より  \frac{p(S|\neg H)}{p(S)}=\frac{1}{m} なので,

 \frac{p(\neg H|S)}{p(\neg H)}=\frac{1}{m}

である.よって式(1)  p(H|S) =k\times \frac{p(\neg H|S)}{p(\neg H)} p(H) より

 p(H|S) = \frac{k}{m} p(H)

となる.いま, k\gg1 m >  1より,\frac{k}{m} >  1 であると考えられるので,

 p(H|S) >  p(H)・・・・・・(2)

といえる.これは,科学理論が経験的に妥当であるという仮説 Hの確率が,科学の成功の元で大きくなることを意味する.つまり,科学の成功は科学理論が経験的に妥当であるという仮説を確証(confirm)する.

以上が奇跡論法の数式による定式化である.適切な前提の元で奇跡論法が成立することが言えているように見える.しかし,ここでおいた前提2はそれほど自明ではない.

前提1と前提2を合わせると,以下の式が成り立つ.

 p(S|H) = \frac{k}{m}p(S) = kp(S|\neg H)

 p(S|H) >  p(S) >  p(S|\neg H)

奇跡論法は本来,前提1のみ,つまりこの不等式の両端の確率の大小関係にしか言及してない.前提1はたしかに論争の余地が小さいだろう.しかし,奇跡論法を厳密に成立させるには前提2,つまり真ん中と右の不等式とその大きさ  m に依存するが,特に  m の大きさに関してはいくらか論争的だと思われる.

また,式(2)から察する通り,そもそも p(H)がどれくらい大きいかによって p(H|S)の大きさも変わる.というのも,式(2)は

 p(H|S) = \frac{k}{m} p(H)

となっており, k m p(H)の組み合わせによっては, p(H|S)はそれほど大きくない.特に, p(H)を過大に見積ることを基準率の誤謬といい,批判がある(Howson (2013)).だとすると,仮に奇跡論法の前提1を認め,また前提2と科学の成功 Sを認めたとしても,奇跡論法の結論,つまり科学理論は経験的に妥当であるという結論 Hを受け入れる必要はないかもしれない.奇跡論法を成立させるには, p(H)がそもそも大きいか,\frac{k}{m}がかなり大きいことを言わなければならないが,どちらの選択肢も自明ではないだろう*2.そこで,問題設定を変えるという別の方針があり,例えばSprenger (2016)は前提を変えて,奇跡論法を文脈依存的な仕方で擁護している.こうした擁護の仕方がどれほど妥当なのかはまた別に検討される必要がある.

*1:ざっと調べた限り,この前提を置いている論文を見つけられなかった.この前提がなければ議論は成立しないはずだが,なぜ書かれてないのか疑問である.

*2:お気づきかもしれないが,実のところ,奇跡論法の結論を出すために前提1はほぼ必要ない.言う必要があるのは p(S|H) >  p(S)であり,そしてこの大きさの比率がどうであるかだけである.というのも,ベイズの定理を用いれば p(S|H) >  p(S)から p(H|S) >  p(H)を導出でき,さらにその比率は等しいということも言えるからである.したがって,科学の成功の確率が一般的な条件よりも理論が妥当な場合に非常に大きくなるということさえ言えれば十分である.だが,この方針が困難であることは間違い無いだろう.