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読書メモと勉強したことのまとめ。

証言の認識論的問題(SEP 4-7節, Leonard 2021)

 

Leonard, Nick, "Epistemological Problems of Testimony", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Summer 2021 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL = <https://plato.stanford.edu/archives/sum2021/entries/testimony-episprob/>.

 

前半はこちら

mtboru.hatenablog.com

 

今回の記事で扱うのは以下の4つの問題。

  1. 個人主義・反個人主義:証言の正当性は個人主義的に(聞き手に関する要因のみによって)理解されるべきか、それとも反個人主義的に(話し手にも関する要因も含めて)理解されるべきか
  2. 証言の権威性:専門家の証言と素人の証言の違いをどのように理解すべきか
  3. 集団の証言:集団は証言するのか。もしそうなら、私たちは集団の発言からどのように学ぶことができるのか
  4. 証言の本性:証言とはそもそも何か

 

4. Individualism and Anti-Individualism

  • 個人主義:証言的正当化に関する完全な説明が、聞き手に関係する特徴のみに訴えることで与えられることは可能である。
  • 個人主義:証言的正当化に関する完全な説明が、聞き手に関係する特徴のみに訴えることで与えられることは不可能である。

この論争は、ここまでに見た理論的対立と関係している。

  • 還元主義は、証言の正当化は聞き手が行う推論によって成立するので、聞き手に全面的に依存していることから、個人主義
  • 信頼性主義は、証言的正当化は聞き手の内的な認知プロセスの信頼性のみで構成されるとするから、個人主義に理解されるべきとする人もいる
    • しかし、個人主義に理解すべきと言う議論もある
      • Goodケース:HはSのことをよく知っており、非常に信頼できいると知っている。HはSからpであると聞き、Hはpであると信じた。またSは知識に基づいてそう話した。
      • Badケース:Goodケースとほぼ同じだが、Sは知識に基づいて話しておらず、信じさせようとしてでっち上げただけだった。Sがこんなことをするのは初めてで、柄にもないことだったとする。しかし、偶然、pであった。HはSの証言に基づいてpであると信じた。
      • この二つのケースを対比すると、Hの内的認知プロセスは同じだが、Sの証言の生成プロセスが異なる。そしてこのケースでは、HはGoodケースではpであると知ることになるが、Badケースではpであることを知らないままだと思われる。
      • よって、証言的正当化に関わるプロセスはHの内的認知プロセスだけではなくSの証言の生成プロセスも関わるので、証言的信頼性主義は個人主義を支持すべきではない。
  • 継承説は、聞き手がpを信じる証言的正当性を獲得するかどうかは、聞き手が継承すべき正当性を話し手が持っているかどうかに決定的に依存すると主張するので、個人主義

5. Authoritative Testimony

専門家の証言は、素人の証言より、認識論的に言って優れていると思われる。それは、専門家の証言は、認識論的権威に基づいているからである。

では、この認識論的権威をどう理解すべきか。大まかには、専門家の証言を先取的(preemptive)とみなすかどうかで立場が分かれる。

  • 先取(Preemption):ある権威者がpと証言するという事実は、私がpを信じるための理由であり、pに関連する他の理由に置き換わるものであって、単にそれらに追加されるものではない
    • 要するに、権威者の証言は、pと信じる唯一の理由になるという意味で、先取的だということ

非先取的説明では、権威者の証言は先取的理由ではなく、非常に強い理由を提供すると考える。

6. Group Testimony

ある委員会の報告に含まれる命題p(例:統計的要約および比較)について考えよう。このpについて、以下のことが成り立つことがある。

  1. 報告書が発表され、自分で読むまで、どの委員もpについて知らなかった
  2. 報告書が発表されるまで、どの委員もpを信じる証拠や正当化をもっていなかった
  3. 委員会はpを証言しているように見える

ここから、少なくとも五つの問題が生じる。

  1. pという集団証言と、集団のメンバー個人の証言の関係をどう理解すべきか
    • 総和主義者(Summativists):ある集団の「p」という証言は、その構成員の一部の証言という観点から理解されるべき
    • 非総和主義者:どのメンバーも証言していなくても、集団がpと証言することは可能
    • デフレ主義者:集団のpに関する証言は、ある個人のpに関する証言に還元できる
    • インフレ主義:集団自体が証言者になりうる
  2. どのような条件下で、聞き手はpという集団証言を信じることが正当化されるのか
  3. 集団証言に基づいてpと信じることが正当化される場合、その信念は証拠によって正当化されるか
  4. 集団証言は知識を生み出せるのか、それとも単に伝達するだけなのか
  5. ある集団がpと証言することは、その集団のpに関する知識(信念)について何か含意があるとすれば、それは何か
    • より具体的には、ある集団がpと証言し、それに基づいてあなたがpを知るようになったとする。この場合、あなたが証言による知識を得たということは、集団そのものが知る者(ひいては信じる者)になりうることを意味するのか。

7. The Nature of Testimony Itself

そもそも証言という発話行為はどういうものなのか、言葉を使ってできる他の行為からどう区別されるべきか。

一つの立場は、証言を主張(assertion)に同定し、ある人がpだと証言しているのは、その人がpだと主張している時、かつその時に限る、とするもの。しかし、証言にとって主張が必要であることは広く認められている(もちろん議論はある)が、証言にとって主張が十分であることには多くの議論がある。

別の有力な立場は、例えば以下の(T1-T3)がある(Coady 1992: 42)が、批判もある(Fricker 1995, Lackey 2008)。

  • 証言:Sがpという何らかの陳述(statetment)をすることによって証言するのは、次の時、かつその時に限る。*1
    • (T1)Sのpと述べたこと(stating)がpであることの証拠となり、pであることの証拠として提示される。
    • (T2)Sは、そのpを真に述べる(state)ための関連する能力(competence)、権威、または資格(credenttials)を有する。
    • (T3)Sの陳述が、pは何らかの論争中のあるいは未解決の問題(pであるかどうかは問わない)に関連しており、またその問題に関する証拠を必要としている人に向けられたものである

別の論者の主張は以下の通り。

  • E. Fricker (1995: 396-7):証言は「主題(subject matter)にも、それに対する話し手の認識論的関係にも制約がない」、非常に一般的な意味で理解されるべき
  • 保証説(Assurance View)の支持者:伝える(Telling)という観点から理解[前半の記事を参照]
  • Graham (1997: 227):話者Sがpと証言しているのは、次の時かつその時に限る
    1. Sのpと述べたことがpの証拠として提示される、かつ
    2. Sは、自分がpと真に述べるにふさわしい能力、権威、資格を有していると聴衆(audience)に信じさせようと意図する、かつ

    3. Sのpと述べたことがSが論争的または未解決と信じる何らかの問題(それはpか否かにかかわらず)に関連しているとSに信じられており、その問題について証拠を必要とする人だとSが信じる人に向けられる*2
  • Lackey (2008: 30-32):証言を、話し手証言と聞き手証言に分ける
    • 話し手証言:Sが伝達行為aを行う(performing)ことによってpをs-証言するのは、aの伝達可能な内容によってpが(部分的に)伝達されることを合理的に意図しているとき、かつその時に限る
    • 聞き手証言:Sが伝達行為aをなす(making)によってpをh-証言するのは、Sの聞き手であるHが、aの伝達可能な内容によってpが(部分的に)伝達されていると合理的に受け取るとき、かつその時に限る
    • この選言的説明の利点は、証言がしばしば話し手の意図的な行為であるという意味と、話し手が何を言おうとしたかに関係なく証言が知識や正当化された信念の源であるという意味を捉えることができるという点

証言そのものをどのように理解すべきかはともかく、他人の証言から学ぶことが可能であるという点では、これらの著者のすべてが一致している。しかし、これまで見てきたように、他人の証言からどのように学ぶことができるかを説明することは困難である。

*1:以下の条件が連言なのか、それとも独立したテーゼなのかわからない。"and"がないので連言だと思わなかったが、独立していると考えると広すぎるテーゼになっているかもしれない。またLackey (2008: 1.2)を読む限り、連言だと思われる。

*2:訳が間違っている気がする。原文は以下の通り。
S’s statement that p is believed by S to be relevant to some question that he believes is disputed or unresolved (which may or may not be whether p) and is directed at those whom he believes to be in need of evidence on the matter.