ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

What Is This Thing Called Knowledge? 4th ed. の第一部の読書メモ

現代認識論の入門書で評価が高い(らしい)

D・Pritchard *What is this thing called Knowledge? (4th ed.)*

What is this thing called Knowledge? (What Is This Thing Called?)

What is this thing called Knowledge? (What Is This Thing Called?)

 

の第一部の読書メモです。

 気になっている方もいると思うので(?)、読書メモ(とモチベ上げ)を兼ねて紹介します。私は認識論に関して戸田山『知識の哲学』しか読んでおらず、英語力も貧弱なので、読み間違ったところがあるかもしれません。その点についてはご指摘いただけると助かります。

 本書は5部20章からできていて、各章は短く簡潔にまとまっています。章末には、その章の要約、練習問題、文献案内があり、とても親切な構成になっています。途中途中に関連するコラムがあり、これもまた面白く飽きが来ません。また英語も平易な方だと思います。(私は構文解釈に苦労することがたまにありましたが、全体的にほとんど一読で構文を理解でき、知らない単語を辞書を引いて読み進められました。)

 以下では第一部を章ごとにまとめたものを紹介します。

 

  • 1 Some preliminaries
  • 2 the value of knowledge
  • 3 difining knowledge
    • The Problem of the Criterion
    • Mehodism and Particularism
    • Knowledge as Justified True Belief
    • Gettier Cases
    • Responding to the Gettie Cases
    • Back to the Problem of the Criterion
  • 4 the structure of knowledge
    • Knowledge and justification
    • The Enigmatic Nature of Jsutification
    • Agrippa's Trilemma
    • Infinitism
    • Coherentism
    • Foundationalism
  • 5 rationality
    • Rationality, justification, and knowledge
    • Epistemic rationality and the goal of truth
    • The goal(s) of epistemic rationality
    • The (un)importance of epistemic rationality
    • Rationality and responsibility
    • Epistemic internalism/externalism
  • 6 virtues and faculties
    • Reliabilism
    • A ‘Gettier’ problem for reliabilism
    • Virtue epistemology
    • Virtue epistemology and the externalism/internalism distinction
  • ここまでの感想

 

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私たちは功利計算すべきか(シリーズ:功利主義を掘り下げる2)

  • 0 はじめに
  • 1 直接・間接功利主義
    • 1.1 直接功利主義への批判
    • 1.2 間接功利主義への批判とその応答
      • 1.2.1 密教道徳
      • 1.2.2 非道徳的な意思決定原理による行為
      • 1.2.3 行為の極小化主義と極大化主義
    • 1.3 間接功利主義が含意すること
  • 2 間接功利主義的な実践
    • 2.1 二次的規則に従う
    • 2.2 よくある誤解に対する間接功利主義的回答
  • 3 まとめ
  • 参考文献

 

0 はじめに

 倫理的な問題について議論しているときに功利主義が出てくると、「功利主義的に考えると〜」とまず間違いなく誰かが言い出す。功利主義者も反功利主義者もよく使う言葉だろう。だがそれは本当に功利主義的に考えているのだろうか。実は「功利主義的に考えると〜」と言いながら、当の本人は実は(本来の意味で)功利主義的に考えてないかもしれない。

 功利主義の最も特徴的なところの一つは功利計算だろう。どのような行為や規則がどのようにして最大多数の最大幸福になるのかを計算することである。誰かが「功利主義的に考えると〜」というときはそれを「功利計算をすると〜」という意味で用いているだろう。だが、この二つが必ず同じ意味にはなるわけではない。これを説明するのが本記事の目的である。

 本記事の構成について。1節で直接功利主義と間接功利主義を区別し、どちらが妥当なのかを示す。2節で間接功利主義における道徳実践について考察する。3節でまとめる。

 また、今回の記事の簡単な説明は入門記事の「2.2 直接功利主義、間接功利主義」ですでに説明してあるので、簡単に済ませたいならそちらを読んでいただくといい。

mtboru.hatenablog.com

 

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谷村ノート関連まとめ(気が向いたら随時更新)

自分があとで見てもわかるように、そして他の人にとって議論の整理になるようにまとめていますが、もし転載等をやめてほしいというお願いがあったらコメントやツイッターなどで連絡をください。削除します。

 

追記(2023年4月8日)

久々に確認したら谷村先生自身が自身の補足ノートおよびそれへのリプライ等をまとめているので、以下のリンクを参照されたい。

http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/philosophy-related-works.html

その上で、本記事は当時のツイッター上でのコメント一覧として読んでいただければ幸いである。

 

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道徳的自然主義者になる方法(2/5)

  • 0 はじめに
  • 1 道徳の奇妙さ
    • 1.1 スミスの「道徳の中心問題」
    • 1.2 マッキーの道徳実在論批判
    • 1.3 道徳的事実のテトラレンマ
    • 1.4 三つの問題の自然主義的回避
  • 2 ムーアの未決論法と自然主義的誤謬
  • 3 まとめ
  • 参考文献

 

前回の記事↓

mtboru.hatenablog.com

 

0 はじめに

 前回の記事では自然主義とはどのようなものなのかの説明を行った。本記事ではメタ倫理学において自然主義を取る動機について説明する。

 1節で、道徳についての三つの問題、スミスの「道徳の中心問題」とマッキーの実在論批判、道徳的事実のテトラレンマをみていく。これによって自然主義を取る動機が説明される。2節で、ムーアの自然主義的誤謬を説明し、ムーアからの批判をどのように回避するかを説明する。3節でまとめる。

 一つ注意点がある。ここでは実在論を取るならばどのように議論をすすめるべきかを検討する。ただし、この実在論自然主義ー非自然主義に無関係な立場として考える。

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トロッコ問題と功利主義

今日のヤフーの記事で次のようなトロッコ問題についての記事があり、ツイッターで少しバズっていた。(現在この記事は削除済み)

headlines.yahoo.co.jp

times.abema.tv

 

この授業の目的は

授業は、選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙いで、トロッコ問題で回答は求めなかったという。 

 とのことだ。

 

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道徳的自然主義者になる方法(1/5)

*1

0 はじめに

 ずっと以前から、どうやって道徳の実在を論証すればいいのか悩んでいた。昨年の3月頃に佐藤の『メタ倫理学入門』を読んで以降、道徳の実在性についてずっと悩んでいる。道徳は実在するのだろうか。実在するとしたらそれはどのような実体なのだろうか。

 存在論における道徳的実在論はいくつかの諸理論に分かれるが、ここで佐藤(2017)の整理を参考にすると、次のように分かれる*2

もう何がどうなっているのかわからないくらい錯綜としているが、本記事で検討したいのはこの内の自然主義である。自然主義一般は哲学の中の一つの立場であって、現代哲学の中で非常に大きな潮流を作っている。自然主義内部でも様々に分かれるが、一般的にこの立場は哲学と科学の連続性を重視する。

 道徳や倫理学における存在論自然主義は「道徳は実在し、それは自然的なものである」という立場である。「自然的な」が意味するところは曖昧で、自然主義者の中でも立場が別れている。

 自然主義関連の日本語書籍はいくつかある*4。しかし、こと道徳的自然主義に関しては、専門・研究書は一冊*5、部分的に取り扱っているものとして、私が確認できているもので3冊だけである*6*7。一方で非自然主義の方はそれなりにある*8*9。そこでまず、今ほとんど文献が揃っていないこの自然主義の立場を整理して、自分の中で固めたいと考え、記事を書くことにした。*10

 五つの記事に分ける予定である。五つの記事で説明したいことはそれぞれ

である。

 本記事では「なぜ数ある存在論(認識論)の中でも自然主義なのか?」を説明していく。1節で大雑把に自然主義とはいかなる立場なのかを説明する。2節で自然主義を大きく存在論自然主義と方法論的自然主義とにわけ、それぞれどのように定式化されるかを説明し、3節でまとめる。

*1:タイトルはR・ボイドの論文「道徳的実在論者になる方法 How to Be a Moral Realist.」をもじっている。

*2:もちろんこの整理では位置づけにくい立場もあり、道徳的特殊主義や道徳的相対主義がそれにあたる。

*3:佐藤(2017)には載ってないが、可能だろうし、実際、スミス(2006)の提案(傾向性分析)がここに入ると考える。「佐藤(2017)でいうところの悪魔パターンか?」とも考えたが、伊勢田先生のブログの書評を見て、悪魔パターンは随伴現象説(エピフェノメナリズム)かもしれないと考えている(しかし随伴現象説を「自然主義」の元においておくのが果たして適切なのか不明である)。

*4:

など

*5:蝶名林亮(2016), 『倫理学は科学になれるのか』, 勁草書房

*6:

*7:しかも蝶名林(2016)は非還元主義的総合主義に焦点が当てられており、他の立場の擁護がなされているわけではない。

*8:

など

*9:非実在論の本はほとんどなく、現状あるのは

くらいである。これらの立場は非実在論の中でも特殊で、前者は準実在論といいほとんど実在論寄りで、後者は非実在論の原型を作った古典で、重要文献なのだが、それ以後の発展した立場を追うことができない。

*10:私の理論的立場の変遷は、改革的虚構主義→準実在論→手続的実在論→理由の実在論自然主義的(還元ないし非還元主義的)総合的実在論、であるが、この変遷のほとんどは不勉強のせいである。そして今、自然主義的かつ総合的実在論という立場に一応たどり着き、還元主義か非還元主義か、それともやはり改革的虚構主義か、というところで迷っている(ループしそうである)。
 また、非実在論は、実は自然主義の下位分類の物理主義かつ消去主義を極端にした場合にたどり着くことができる立場でもあるから(もちろん全く別の動機からたどり着くことも可能だが)、結局私は自然主義の内部で迷っていることになる。

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動物園の倫理的是非(ドゥグラツィア『動物の権利』より)

以下は

  • デヴィッド・ドゥグラツィア著、戸田清訳(2003)『動物の権利』, 岩波書店

の「6 ペットと動物園」(pp.119-142)の、動物園についてのまとめです。 

引用の下線部は全て著者(ドゥグラツィア)の強調傍点です。

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