行為功利主義と規則功利主義をめぐる簡潔な説明は以下で行っている。
0 はじめに
功利主義の一般的な理解は「行為が正しいのは、その行為が他の行為と比べてより善い帰結を生み出すとき、そのときのみである」というものだろう。これは行為功利主義と呼ばれる形態の功利主義である。行為功利主義は功利主義批判のやり玉にあげられることが多く、典型的な「功利主義批判」のほとんどは行為功利主義に対するものである。
だが功利主義の取りうる立場は行為功利主義だけではない。その最も代表的な代替案が規則功利主義である。規則功利主義は次のように定式化される。(これは粗雑な定義であり、再度定式化する)
規則功利主義:
- ある行為が正しいのは、最適規則体系に該当する行為であるとき、そのときのみである。
- ある規則体系が最適規則体系であるのは、その規則体系が他のどの規則体系と比べても、少なくとも同等以上に善い帰結(より大きな福利[well-being])をもたらすとき、そのときのみである。
行為功利主義との最も大きな相違点は、行為の評価の仕方である。行為功利主義において、行為は「その行為が他の行為と比べてより善い帰結を生み出す」かどうかで評価される。つまり行為は、その行為の帰結の観点から直接的に評価される。一方で規則功利主義では、行為は「最適規則体系に該当する行為である」かどうかで評価される。つまり、行為は規則から評価され、規則が帰結の観点から直接的に評価されることになり、評価は二段階に分かれる。
規則功利主義は行為功利主義によくある批判を回避できるという点で支持されることが多い。例えば「行為功利主義では、最大善を生み出すためなら、嘘をついたり約束を破ったりしてしまう」という批判があるが、規則功利主義では「最大善を生み出すことができるとしても、嘘をついたり約束を破ったりすることは最適規則体系で禁止されていることなので、してはならない」としてこの批判を回避できる。これは直観に適っているという点で非常に魅力的だと主張されることが多いし、実際、規則功利主義を取る動機として直観との整合性を第一にあげる哲学者もいる(Hooker 2000、ただし、Hookerは規則功利主義ではなく独自の規則帰結主義を採用している)。
だが、規則功利主義は正しいのだろうか。そして行為功利主義は間違っているのだろうか。このことを検討することが本記事の目的である。
本記事の構成について説明する。1節では、上で示された規則功利主義をより具体的に定式化し、規則功利主義の2つの形態を示す。また規則功利主義の魅力を説明する。1節の最後では、よく混同される間接功利主義と規則功利主義の違いについても説明する。2節では規則功利主義の検討を行い、規則功利主義は魅力的でないことを示す。3節では行為功利主義の検討を行う。よくある批判を回避できるかを中心に検討し、行為功利主義が規則功利主義と比べて魅力的であることを示す。4節で以上の内容をまとめる。
なお、日本語で読める規則功利主義の説明や検討は、安藤(2007 第2章, 2017)や永石(2014)で読める。
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