ボール置き埸

読書メモと勉強したことのまとめ。

帰結主義化(SEP1−3節, Portmore 2022)


Portmore, Douglas W., "Consequentializing", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2022 Edition), Edward N. Zalta & Uri Nodelman (eds.), URL = https://plato.stanford.edu/archives/fall2022/entries/consequentializing/.
plato.stanford.edu

後半の記事はこちら。
mtboru.hatenablog.com

  • 行為帰結主義は主要な道徳理論の1つ
    • 広義には、ある行為の究極的なright-making featureは、その結果が、利用可能なあらゆる代替案の結果よりも評価的に劣らないこと
      • ある結果の評価的なランク付けは、さまざまな善さ、あるいはその組み合わせなどでなされる
    • ランク付けの仕方によっていろいろな帰結主義になる
  • 行為功利主義には反直観的な含意があるが、しかし非常に説得的なところもある[4.1節で議論]。
  • 非魅力的なところと説得力を考えると、潜在的に有望な研究プロジェクトは、功利主義の反直観的含意を回避する行為帰結主義のバージョンを考え出すこと
    • 他の非帰結主義的な理論は功利主義の反直観的なところを避けるので、それを帰結主義化する
    • ここで当為的評決(deontic verdict)は、“right”, “obligatory”, “permissible”, “supererogatory”, “ought to be performed”など
      • 評価的用語(good, better)と異なり、直接的に規範的
  • 神学的主意主義(theological voluntarism)の帰結主義化を考えてみよう
    • 神学的主意主義:行為の究極的なright-making featureは神の意志に従うことである
      • 神は十戒を守ることを意志しているとしよう。
    • 帰結主義化するには、right-makerについて、神の意志ではなく結果について考える。
      • 行為の究極的なright-making featureは、その行為の結果が他の利用可能な行為の結果に劣らない(not outranked)ことである、そして
      • ある結果[A]が別の結果[B]より優れている(outrank)のは、行為者がその結果[A]において十戒に違反せず、別の結果[B]において違反するとき、かつそのときに限る
    • この行為帰結主義的対応理論と、もとの神学的主意主義の当為的評決は同じ。
      • しかし対応する行為帰結主義理論では、特定の行為が正しいのは、神の意志によってではなく、行為者が十戒を違反した場合の結果が十戒に違反しない場合の結果に優る、となってる
  • 歴史的には、反直観的含意を避けるための「帰結主義化プロジェクト」だったが、最近は別の理由もある

1. 帰結主義化は、功利主義を一般的な道徳的意見と調和させる他の試みとどのように異なるのか?(How Consequentializing Differs from Other Attempts to Reconcile Utilitarianism with Common Moral Opinion)

  • 量的快楽功利主義の修正方法2つ(+1)
    • 1:行為帰結主義を維持しつつ、ランク付けを洗練させる(量的快楽主義から、権利帰結主義、質的快楽功利主義、とか)
    • 2:行為ではなく規則帰結主義とかにする
    • (3:順位付けされる結果は形而上学的にだけでなく、提示的にも(presentationally)個別化されるべきであり、それ自体、行為者と相対的であることすること)
  • これらは相互に排他的なわけではない
  • 帰結主義化には、行為帰結主義をそのままに、結果の順位付けの方法を修正することでそれを行うことが含まれる
    • 行為帰結主義から離れると、その魅力を失うと考えられてるから

2. 常識的な当為的評決の帰結主義化(Consequentializing Commonsense Deontic Verdicts)

  • 帰結主義化の歴史的な動き(常識と調和させるそれ)を見ていく
  • 初期:ミルの質的快楽功利主義、Mooreの快楽以外の内来的善の理論や有機的統一の議論など
  • 功利主義者は、行為の結果を、その行為から因果的に下流(downstreem)にあるものだと考えがちだが、現代では広く解釈して、もしそれが実行されたならばそうなるであろうすべてのこと(everything that would be the case if it were performed)を含む
    • 不確定な場合は見込みや確率分布を考慮するが、本稿ではこれを扱わない
  • 広く解釈すれば、行為は内来的(intrinsically)に悪い、などという考えが使える
    • 約束を破るのは内来的に悪いなど
    • 帰結主義者は、非帰結主義者と異なり、その行為を悪くする結果の特徴であるとできる
  • だが、約束を破るのは、たとえ結果を良くすることになってもダメだと思われる[ので、内来的に悪いとしても、それが他に乗り越えられてはダメ]
    • 二つの約束違反をしないために1つの約束違反をすること、とかを防げない(が、それは直観的に悪い)
  • 評価者相対ランキングに修正する方法がとられてきた(その他もあるが)
  • さらに、約束破りなどの行為を制限すること行為者中心的制約に加え、最良の結果をもたらすかそれを控えるかという行為者中心的選択もあるように思われる
    • そこで結果の二重ランキングに訴えてきた
      • 例:薬が1つだけであり、自分のひどい頭痛を治すか、相手の軽い頭痛を治すかにおいて、功利主義は自分を治すことを命じるが、ここでの直観では、相手を治しても許容可能
      • そこで、行為者を含めて全員がどれほどよくなるか、と、行為者以外の他者全員がどれだけよくなるか、という二重結果
  • だが自己/他者功利主義は、2つのタイプの行為者中心選択肢のうちの片方だけしか対応してない(つまり自己犠牲だけ)
    • 行為者有利の選択肢もありそう
      • 中程度の頭痛を、私と、他者2人が経験しており、他者は1錠で済むが、私は2錠必要。ここで、薬が2錠しかないとき、私か他者2人かのどちらを選んでも許容可能だと思われるが、自己/他者功利主義は対応できない
  • そこでSchefflerian功利主義は、利己的調整的効用を考えることで許容可能だとする

3. 帰結主義化の三つの動機とタイプ(Three Motives for, and Types of, Consequentializing)

3.1 熱心な帰結主義化(Earnest Consequentializing)

  • 動機1:行為功利主義の直観的に説得的なところを維持しつつ、反直観的なところを回避する
    • これをしてる人たちを、熱心な帰結主義化論者(earnest consequentializers)と呼ぶことにする
  • 議論は以下の通り
  1. 一方で、直観的に説得的な功利主義、つまり行為帰結主義がある
  2. 他方で、標準的な非帰結主義は、すべてではないが、功利主義と関連する反直観的当為的判決のほとんどを避ける。それでも、行為帰結主義を放棄する代償として、そうしているのである。
  3. そのため、非帰結主義の標準的なものを帰結主義化することで、功利主義の最も説得力のある点を保持しつつ、功利主義に関連する当為的評決のうち、すべてとは言わないまでも、ほとんどを回避できる行為帰結主義の対応理論を作り出せる。
  4. そして、そうすることで、説得力はほとんど失われない。
  5. したがって、非帰結主義の標準的なものを帰結主義化することによって、功利主義と標準的な非帰結主義の両方より直観的に魅力な理論を作り出せる。
  • 熱心な帰結主義化論者は、道徳理論がデータによって過小決定されるために可能となる。
    • 同じデータについて別の説明が提供できるため、そこで帰結主義を選ぶ
  • これはカント主義化も可能にする。他の理論も同様
  • そして帰結主義化をあえて選ぶ理由は、行為帰結主義には独特の説得力があるから(反論は4節[後半の記事]で示していく)

3.2 表記的帰結主義化(Notational Consequentializing)

  • 帰結主義者と非帰結主義者の区別が重要でないことと、行為帰結主義には何ら独特な説得力がないことを証明したいという欲求から帰結主義化する人もいる(see Dreier 2011 and Louise 2004)
    • 対象となる非帰結主義理論の行為帰結主義的な対応理論は、その理論の単なる表記上の変種であるとするため、かれらを表記的帰結主義化論者(Notational Consequentializing)と呼ぶことにする。
  • 議論は以下の通り
  1. あらゆるもっともらしい非帰結主義理論には、行為帰結主義的な対応理論があり、その2つは必然的にその当為的評定において共外延的である。
  2. 行為帰結主義的理論と非帰結主義的理論が必然的にその当為的評決において共外延的であるならば、1気圧の沸騰している水の中の分子の平均運動エネルギーは摂氏100度という見方が、1気圧の沸騰している水の中の分子の平均運動エネルギーは華氏212度という見方の単なる表記上の変形であるように、それらは互いに、強い意味での単なる変種にすぎない。
  3. もしすべてのもっともらしい非帰結主義的理論が、外延的に等価な行為帰結主義的理論の単なる表記上の変種であるならば、帰結主義と非帰結主義の区別は重要ではなく(実際、空であり)、すべてのもっともらしい道徳理論は、行為帰結主義的表記上の変種と非帰結主義的表記上の変種の両方を持つ。
  4. したがって、帰結主義と非帰結主義の区別は重要ではない(そして実際、空である)。
  • 最初の二つの前提は議論があるので、4.2, 4.5で議論する
  • フット的手続き(Footian Procedure)と呼ばれる手続きによって前提1は正しいと思われてる
    • ある行為が許されるのはその結果があらゆる利用可能な代替案の結果を上回らない場合のみであるという行為帰結主義の見解と、ある行為の結果はそれがFである場合のみあらゆる利用可能な代替案の結果を上回らないという仮定を単純に組み合わせるだけ
      • Fは何でも良いが、right-makerなもの
  • だがこれは前提1が真であることを保証しない。フット的手続きが常に可能なわけではないから
    • ランク付けが推移的だとしてすると、
      • 行為Aは行為Bより道徳的に善い
      • 行為Bは行為Cより道徳的に善い、しかし
      • 行為Cは行為Aより道徳的に善い
      • という場合に、これについてフット的手続きは採用できない*1
  • いずれにせよ、あらゆる非帰結主義理論に共外延的な帰結主義理論を作ろうとすることで、帰結主義と非帰結主義の区別が重要でないと主張しようとしてる。

3.3 プラグマティック帰結主義化(Pragmatic Consequentializing)

  • プラグマティックな理由から帰結主義化をする人もいる。
    • Seth Lazar (2017):純粋に道具的な理由から、道徳理論を意思決定理論に従順な形で表現することを可能にするもの。帰結主義化によって、当為論的な道徳理論を不完全な情報に適用することができるようになる。それは当為論的な意思決定論を可能にする。
  • 議論は以下の通り
  1. 帰結主義理論は意思決定理論に従順であるのに対し、非帰結主義理論はそうではないので、不完全な情報を扱う場合、帰結主義理論は非帰結主義理論に対して明らかに有利である。
  2. しかし、非帰結主義的な理論を帰結主義化させることで、その拡張のための説明を誤魔化す(あるいは、少なくとも不透明にする)としても、忠実にその拡張を表現できる。
  3. したがって、もし非帰結主義的理論を帰結主義化させれば、その結果生じる行為帰結主義の対応理論に意思決定理論を適用し、それによって不完全な情報を含む状況において対象の非帰結主義的理論の当為的評決を決定することができる。
  • フット的手続きを使ってなんとかこれを実行しようとする。

後半の記事はこちら。
mtboru.hatenablog.com

*1:後半の記事で述べられるように、このようなことはもっともらしくないとして否定できる。